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by thatness
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小日記

一年二十四節気。

季節は変われどお馴染み、空き地を走りまわる愛犬を眺めながらコーヒーを啜る土曜日の朝。至福の時。 ナニゲにわが家の北の方向、梅T町方角を見ると、銀色の鉄塔がそびえ立っているのを見つけてびっくりした。 高圧電線の鉄塔ではない。テレビかラジオかわからないけど、無線中継のための単独の鉄塔のようである。

いつのまに完成したんだろう。 母を呼んで訊ねてみたが、わからない。愛犬は知ってるかなあと思ったが新しい穴を掘るのに夢中...。 呼んではみたもののワンとも応えてくれなかった。

ひょっとすると、あの鉄塔はずっと以前からあったのではないか。 いままで気がつかなかっただけで、ペイントを塗り直して目立つようになり、光の加減で突然気がついたのかも知れない。 時計をじっと眺めていても変化に気がつくことがないように、知覚の能力を超えた漸次的な変化というものがある。

ぼくはいまだに宮澤賢治の作品にも描かれた「座敷ぼっこ」の話が好きである。 知っているものは5人しかいないのに、数えてみるとひとり多い。何回数えてもひとり多い。自分はほんとうに自分か。 もうひとり多い、見知らぬ誰かがほんとうの自分ではないのか。認知のねじれ、存在感の喪失。 わかりかけているのにわからないという感覚、あるいはわかっていいはずなののに、たぶんわかってないんだろうという観念。

いつのまにかわが家が何十もの鉄塔で囲まれていても、雨が一滴も降らなくなり山が砂漠になってしまっても、 違和感なくあたりまえの風景として受け入れてしまう。神の見えざる手が、ぼくを騙そうとそろりそろりと風景に手を加えている。 神のたくらみはちらりちらりと見えることはあるのだが、全体像がみえない。空想癖がひどかった中学生の頃の、錯乱への憧憬。

梅T町の方角に鉄塔が見えることを、ぼくはもう 知ってしまった。 昼も夜も、夏も冬もそこに鉄塔が立っていることが頭に入ってしまい、風景として刻みつけられてしまった。 それがなんだか寂しい。この空き地から眺めて、あっと思うような風景の気づきに出会える機会は、これからもあるだろうか。

聞こえるはずのない「存在」のたくらみに、これからもぼくは耳を傾ける。

by thatness | 2005-12-04 00:11 | ある日
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