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もう先々週になるが、ヴェルディの歌劇『椿姫』をDVDで見た。
1994年、コヴェント・ガーデン・ロイヤルオペラハウス(英国)でのライブ。指揮はゲオルグ・ショルティ。 キャストは、ヴィオレッタ(椿姫)にアンジェラ・ゲオルギュー、恋人のアルフレードにフランク・ロバード、 アルフレードの父ジョルジュにレオ・ヌッチ...という面々。 このDVDについて、なにか書きたい、書かねばと思いつつ、2週間なのである。 言葉を捻りだそうとしても、まるで中世の大聖堂の穹窿を見上げたように (いや、欧州には行ったことがないので、阿蘇の火口を見下ろしたときのように、と代わりに言おう)、 ただただ圧倒されて言葉が出てこない。贅沢きわまりない2時間であった。 『椿姫』は絵に描いたような悲劇のドラマである。 舞台は18世紀のパリ。ヴィオレッタは裕福な老侯爵をパトロンに持つ「プロの愛人」である。 豪華な家を与えられ、夜な夜な貴族たちが集まっては享楽的な宴を繰り広げているが、 重い結核を患っていてあまり長く生きられそうにはない。そこで出会ったのがプロヴァンス出身のハンサムな青年貴族アルフレード。 2人は恋に落ちて駆け落ちするが、互いに世間知らずゆえ経済的に困窮。 アルフレードの父親にも隠れ家を見つかって仲を引き裂かれ、失意のうちにヴィオレッタは衰弱して死んでしまう。 というわけで、ドラマそのものは単純である。敵役も三角関係もないので、感情的な葛藤も浄化もない。 モーツアルトのために台本を書いたダ・ポンテのほうがはるかにドラマツルギーにはすぐれているのはいうまでもない。 しかしながら『椿姫』には、背筋が凍るような業といってもいいような深い感情が流れていた。 それはまさにヴェルディの音楽の深さだろうけど、舞台で展開したような不幸で理不尽な出来事が、 絵空事とは思えなかったということもある。ヴィオレッタのようなプロの愛人、 ようするに高級娼婦と呼ばれる女性たちは実際にいて、ドミ・モンドと呼ばれていた。 甘い悲劇のメロドラマではあるけれど、嘘はないのである。 しかしながら、まさにそこに戸惑ってしまう。音楽と舞台に酔いしれる自分がいる。 けれど、こんな悲劇的なドラマを贅沢に楽しんでいいのか、ということである。 オペラ(とくにイタリア)はやはり、文学ではないのだなと思う。 人間の在りようや感情を学ぶのではなくて、高級ワインように味わい尽くす。不幸も悲劇的な運命も...。甘美でありながら残酷なのだ。 日本にも歌舞伎や人形浄瑠璃の伝統がある。その方面は(恥ずかしながら)全然知識も感受性もないけれど、 溝口健二の映画でその世界の一端に触れた体験はある。そこには深い人間観察とドラマツルギーはあるが、 エネルギーのベクトルが違う。『西鶴一代女』は、観客を田中絹代と同じ不幸のどん底に引きずり込むのに対し、 オペラはそれすら甘美な感情に転換してしまう。オペラが贅沢三昧の、 貴族のための文化であったことを思い知らされてしまうのである。 それでも『椿姫』は素晴らしい。有名な「乾杯の歌」、アルフレードの父が息子に切々と歌う「プロヴァンスの海と土」。 ヴェルディという人間が、才能のすべてを音楽に捧げて練り上げた「真善美」がそろっている。 特権階級の享楽と社交に供した以上のものが、存在するのではなかろうか。 どうしていままで、こんな最高の音楽があることに気がつかなかったのか。 そういえば、義務教育ではドイツ音楽ばかり学習させられてきたっけ。 歌曲もシューベルトだったし...。教えられたイタリアの音楽といえば、ヴィヴァルディの『四季』か「サンタ・ルチア」。 実をいうと、本格的にイタリアオペラを鑑賞したのは今回が初めてである。(知ったふうなことを書いてきて、申し訳ないです...笑) 十年以上かけてこつこつモーツアルトを聴いてきたように、イタリアオペラを聴いていこうと心に誓ったところ。贅沢ですか? 最後に、このDVDでヴィオレッタを歌ったアンジェラ・ゲオルギューについて。彼女は、すごいです。歌唱力と、その美貌...。 コヴェント・ガーデンのような一流のオペラハウスで主役を張るには、それなりの名声と実力が不可欠。 というわけで、役は10代、20代の娘なのに歌手は厚化粧の40代、50代...という事態になってしまう。 それはある程度しょうがないし、未熟な若い歌手よりは歌唱力のあるベテランのほうがいいに決まっているので、 DVDで見てもあまり気にはならない。 しかし、ゲオルギューが歌う(演じる)ヴィオレッタはまったく美しい。 連想するのは、『椿姫』から想を得たと思われるカポーティの『ティファニーで朝食を』である。 ゲオルギューは映画化された『ティファニー...』で主役を演じたヘップバーンみたく、輝いている。 (そういえばヘップバーンも『マイ・フェア・レディ』というミュージカル映画に主演したが、歌は吹き替えだった) ゲオルギューのヴィオレッタは、この公演の3年後鬼籍に入る指揮者ショルティの大抜擢によって実現した。 2人は、音楽というきずなで結ばれた一期一会の「老侯爵と椿姫」であった、といえるかも知れない。
by thatness
| 2004-12-05 15:22
| 音楽_classic
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