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カテゴリ:わたし( 7 )


アポロ宇宙船のおくりもの

先日の月の話で思い出したのだけれど、ぼくら40代の人間は、アポロ宇宙船の月面着陸をリアルタイムで覚えている世代である。 アポロ11号の歴史的瞬間は日本でもテレビで中継(いまから思うとすごいな...人間の欲望、そこまでして見たいか...)されたが、 アームストロング船長がなかなか月面に降りて来ず、テレビの前で居眠りしたのを覚えている。

ビートルズ世代があるのなら、アポロ世代があってもいいんじゃないのか、 誰も言わないけど。そう...ぼくらが夢中になったのはアポロ計画と(行けなかったけど)万博。 「ビートルズ世代なんてものはなかった」というのはもうすっかり定説だが、アポロ計画に当時の男の子はけっこう夢中になったと思う。 サターン5型ロケットや月着陸船の絵はたくさん描いたし、学習雑誌の付録の模型にも夢中だった。読み物もたくさん読んだ。

なにより燃えた?のが月の石である。

ぼくは負け組(万博に行けなかった組)だったので、勝ち組の自慢話を泣きべそかきながら聴いたのだけど(ホントです)、 数年後、となりの佐賀県の博物館で一般公開されることが決まり、飛びあがって喜んだ。

当時、仲間たちの間では月の石は硬いものにこすりつけると、 その跡が蛍光塗料のように光るという説がまことしやかに流れていた。 説というか、よくよく思い出してみると、それはぼくが仲間に吹いたホラなのだけど...。まあ、なにせ月の石、この程度の嘘でもちょびっとは通用したのだった。

小学校6年のとき、仲間の母親に引率されて実物と対面。 展示ケースの前はものすごい混雑だったが、しっかりと目に焼きつけることが出来た。とてもとても小さくて、黒い塊。
実をいうと、石の表面に雲母のようなものが混じっていて、きらきら光っていたような記憶もある。 しかし、いくらなんでもそんなはずはないだろうから、あとから吹いたホラが記憶に紛れ込んでいる違いない。 「月の石って光るんだぞ、きらきらと。それを夜中にこすりつけると...」。って、背伸びをするから、あとで辛い目に遭うんだよな。

月の石は、万博で浮かれる日本への、アポロ計画からのおくりもの。
それは夢というより、ホラを吹く力を日本人に与えてくれたのだろう。経済、芸術、建築...。 みんな大きなホラを吹きはじめた。空虚で浮き足だった想像力。でも、ほんとうにそれだけだったのか。

宇宙船が、惑星の重力を利用して推進力を得ることをスイング・バイという。 事故でバッテリーを失ったアポロ13号が帰還できたのは、月の重力を利用したスイング・バイが成功したからだった。

小さなホラが、いまもいたるとろで吹かれている。 一発勝負のスイング・バイに期待して、飛び出したもののなかなか戻れない着地点を探している。 しかし、われわれは他人をだますためにホラを吹いているわけではない。ファンタジーに質量をあたえ、「月の石」を一瞬でもかがやかせたいのだ。 ぼくらの脳がほんとうに求めているのは、資本主義の享楽ではなく客体にかぎりなく近いイリュージョンである。

子どもにとってアポロ計画と万博が、まさにそうだったのだから。
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by thatness | 2006-08-29 17:19 | わたし

理由と探求

どうして絵を描くようになったのだろう。

思いつく理由はいろいろとあるのだけれど、ひとつには、東京から撤退してきて、生でアートに触れる機会がほとんど失われてしまったというのがある。 代わりというわけではないけれど、児童画の展覧会にはしばしば足を運んで楽しんだ。 いまでも児童画は大好きで、自分の作品は彼らの足元にも及ばないと思っている。

そしていつの間にか、身近にアートがないのなら自分で描いてみるべ、という気持ちになってきた。 直後にデジカメを入手して写真をはじめたので、じっさいに絵筆をとってドローイングを始めたのはつい半年前だけれど、とても楽しくて病みつきである。

自分で描きはじめて驚いたのは、アーチスト(とくに画家)の好みが徐々に変化していったことだ。

以前は、なんといってもアメリカの抽象表現主義の画家たちが一番だった。マーク・ロスコ、バーネット・ニューマン、初期のフランク・ステラなどなど...。 それが具象とも抽象ともつかない、子どもたちの絵、アボリジニのアクリル絵画、キーファー、バスキア、大竹伸朗などに好奇心が移っていった。 とくに(画家としての評価は全然ないのかも知れないが)ぼくはMAYA・MAXXというアーチストに衝撃を受けた。 忘れもしない、吉本ばななの『ハネムーン』の挿し絵である。 名前が名前だけに、性別も国籍もわからなかったが、東京から無念の撤退をしてどん底(というか、危険な状態...)だったぼくは、 彼女のエモーションの奔流といって差しつかえない絵画に、文字どおり「救済」されたのだった。

そしてもう1人、かけがえのない画家がいる。
サイ・トゥオンブリである。

トゥオンブリは、ロスコやステラと肩を並べる巨匠といっていい画家だけれど、日本ではきちんとした回顧展が開催されたことがなく、 一般的な知名度はまだ低い。ぼくも東京にいたころは全然知らなくて、 こっちの図書館で借りて読んだアメリア・アナレスの啓蒙書で彼のことを知った。 こういうタイミングだから、当然実作をまだ1点も見たことがない。

トゥオンブリは、ぼくにとってガンジス川のような存在である。
アイデアに詰まると、巨匠ならどうするだろうかと考える。天国から降ってきたような色彩とタッチ、書きなぐりの言葉にどっぷりとつかり、沐浴する。 すると、描き込みすぎてどうしようもない作品も、新たないのちが芽吹いてくることがある。 一枚、一枚、描くたびに新しい発見をする、絵の面白さを巨匠には教わっているように思う。

おととい、アマゾンで注文した(おそらく最新の..)画集が届いた。

画集には、340点を越える図版と共に、リチャード・リーマンという方が執筆した大部の論文が掲載されている。 英文なので、ぼくにはまったく読むことが出来ない。そこに巨匠の秘密が詳細に解説されているかと思うとなんとも歯がゆい。

だからぼくは、自分の絵を描くしかないのである。「未熟な詩人は模倣し、熟達した詩人は盗む」との名言を残したのはT・S・エリオットだそうだが、 ぼくには模倣する力も盗む力もない。ただただ、探求するために描いている。
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by thatness | 2006-04-17 00:14 | わたし

体験的(プチ)身体論

ずいぶん涼しくなってきた。
Tシャツ一枚にジーンズという軽装がいちばん気持ちいいのは、夏と秋の境目。まさにいまではないだろうか。 けれど日射しはまだまだ強くて、油断して日向を歩きつづけていると気分が悪くなることも。

数年前から、公立学校で臨時の職員をしている。
昨年までは中学校、今年から小学校の低学年をサポートしているのだけど、 子どもたちは元気元気。給食(...に参加するとごはんと牛乳が一緒にいただけるようになります!)の時間になると、 四方八方から話しかけてこられるので聖徳太子状態。昼休みは鬼ごっこしようよドッチボールしようよとお誘いがかかり、 ついつい我を忘れて遊んでしまうようで、かなりバテる。

とくに今週は、疲れた。帰宅して愛犬と過ごし、夕食をとってお風呂に入ると眠くて眠くてしょうがない。 サイトの更新もしなくちゃと思いつつベッドにひっくり返ると、いつのまにか朝になっている。 部屋の明りもマックも点けっぱなし。。鉛筆で何枚か絵を描いたほかは何もしなかっただなあ...と一週間をふりかえると、 今週はとくに足がむくんでぱんぱんに腫れていたことに気がついた。そういえば、仕事中にもいろいろあってよく走った。 子どもを抱っこしてぐるぐる回ってみたり、御姫さま抱っこに押し相撲...いろいろし過ぎたな。

足がむくんでしまうと、確実に脳のはたらきも落ちてしまう気がする。椅子に坐ってパソコンに向かう気力もなくなって、 ただただベッドに寝転がりたくなるのだ。足のむくみをなめてはいけない。俗に足は「第2の心臓」ともいう。 人間の身体が地球の重力でつねに引っぱられているように、血液や体液も下へ下へとひっぱられているが、 歩くことによって下半身の血管を伸縮させ、血液を上半身に押し上げている。血行をよくし、酸素摂取量も増えて脳も元気になる。まさに心臓。 足を動かせなかったり酷使したりすると、歩行のポンプ効果がなくなり血液も滞留してくる。ひどい場合はエコノミー症候群だ。 歩くことはいのち(と意識)を側面から支えているわけで、身体がおとろえ歩けなくなるということは、 単に行動半径が縮まってしまう以上の意味があるのではないかと思う。

中学校の道徳では、心のある場所はどこかと生徒たちに問いかけ、脳であると教えていた。 しかし、正確にいうとそれは「意識」であって心ではないのだろう。 心が身体全体と切り離してかんがえられないことはデカルトの『情念論』にも書いてある...。 足がむくんで疲れたとき、ぼくらは心もシンクロして疲れている。 身体をちゃんとマッサージできれば、心も息を吹き返す。 心をマッサージすれば、身体の調子が戻るのと同じように。

夕方。愛犬とともに散歩。

規則正しく左右の足を動かしつつ、下半身に血液を押し上げていくポンプのイメージを重ねてみる...。なかなか面白い。 生命維持にかかわる筋肉は心臓もふくめほとんどが不随意筋であるので、自分の生命維持を体感するのはかなりむずかしい。
けれど、足の筋肉や横隔膜など、生命維持と随意筋がクロスする場所を意識しイメージすると、生命を体感するチャンネルが開く。 深呼吸とおなじように、歩くこともまた、生きているなあという深々とした想いをあふれさせてくれる。

こんな発見があるなんて...。
やっぱり、足のむくみをなめてはいけない。
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by thatness | 2005-09-17 13:45 | わたし

中央アジアの草原にて

心を病んだ少年いた。
奇跡的に彼を救ったのは音楽療法。
使われた曲はボロディンの『中央アジアの草原にて』。
何度聞いても聴いて広がる安らぎと希望を、
ソビエト共和国社会主義連邦の、ど真ん中。
地平線まで続く草原にねころがって、体感したいと願う。
音楽と、作曲家に霊感をあたえた大自然に、
感謝の思いをささげたいと思う。
大学は中退。
バイトでトラックのハンドルを握る日々。
下り坂。遠近法の消失点。
かがやく水平線が、中央アジアの地平線に見える。
少年はかの地へは行けない運命にあるのだが、
自力で生きていく意志と力をいつのまにか獲得している。

...という短編小説を書きあぐねている友人がいた。
大学時代のこと。80年代だ。
同級生で企画していたソビエト旅行が、事情があって頓挫。
せめて小説にでも、というわけである。
友人から小説のアイデアを聞かされたとき、
物語に女っ気がないのが物足りなかったが、悪くはない。
まあまあいい感じじゃないのか、と期待した。
ところが友人は病にぶっ倒れて入院、
執筆どころではなくなってしまった。
無念だったろう、といいたいところだが、
何事にも三日坊主な友人はケロリとしていて、
「小説は止めた。詩にする。書いたら手紙で送るわな」
と、嘯いて終わりだった。

そして、おととい友人から詩が送られてきた(笑)。
あれからもう、たっぷり20年はたっているのに。

++
「中央アジアの草原にて」 ヨウジロウ

美学生だったころ
8ミリ映画を作った友人たちがいた
シナリオをシクくんが書き
ツージーが監督をし、
ターサンがカメラを、
ワンがプロデューサーをやった
主役にはリーダーやクラモトが出た

遠く中央アジア、タシケント、
サマルカンドへと
旅立つ
オザキ ワシオ エスケープした私を
モデルにした映画だった

別府湾の海と中央アジアの風景が
オーバーラップするイメージがあった
今、映画をつくったみんなに感謝したい

++

そうなのです。
病に倒れた友人のアイデアを、
本人になんの断わりもなくいただいて、
ぼくらははじめての映画を作り上げたのでした。

ぼくの大学生活で、これはやったぞ、と唯一いえるのが映画。
そのきっかけをくれた友人からの20年ぶりのオマージュ。
ヨウジロウ君、ぼくのほうこそ、君に心から感謝しています。
「中央アジアの草原にて」。

小説のほうは、いつ出来ますか?
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by thatness | 2004-12-15 14:58 | わたし

水先案内夢

夢の記録をノートにとりはじめて、20年以上たつ。

絵が描けない、音楽が出来ない、それでもイマジネーションに飢えていた学生時代。 夢を記録して、ユング派の心理学者だった秋山さと子さんの本をたよりに、あれこれ解釈をこころみた。 マンダラや老賢人、アニマと出会って、衝撃的な自己実現が起こったらどんなに面白いだろう、と本気で考えていた。
まさに若気の至りのサンプル商品。それでも、未だに止められない自分がいるのはなぜだろう。 夢が人生を変えるなんて、全然思ってないのに。

ただ、夢の記録を長年続けてきて、面白い現象がないわけではない。
たとえば予知夢?のようなものをまれに見る。

++
『記録。2001年、8月27日』

ぼくの奇妙な仕事。竹製のウインドチャイム(風鈴)を、あちらこちらの家の軒先に吊るして回り、 音を管理すること...。しかし、夏も終わりに近づき、チャイムは不用になった。真夜中、 取り外すために家々を1軒1軒訪問している。

ある家でウインドチャイムをはずしていると、ご主人が出て来て、家に招き入れてくれた。 なにやら不安めいた気持ちで、暗い部屋を通って裏庭に出る。 外には1辺が百メートルはあろうかという正方形のプールが目の前にあった。 水深は恐ろしく深い。それは、何か大きな事故か天災で亡くなった人々のための、慰霊施設だった。

そこでは、大きな追悼式典の真っ最中。プールの回りにはたくさんの遺族が並んで花をたむけている。 久米宏など有名なニュースキャスターが何人もいて、祈りを捧げている。県知事?が追悼文を読み上げ、 バックで静かな音楽が流れている。
++

あまりにも鮮明な夢だったので、ほんとうに大きな事故か天災が起こるのではないかと思ったが、 事実、9月11日にあの同時多発テロが起こりびっくりした。 あの正方形のプールは、消滅した世界貿易センタービルの跡地そのものである。あの時はさすがにふるえが来た。

しかし。これが(ほんとうに)予知夢だったとしても、だから何だ、 という程度のものである。人間は無意識のうちに、たとえ睡眠中であっても厖大な情報を拾って処理している (...と思う)。予知夢のようなシンクロニシティ現象は、誰にでも起こりうる現象だと思っている。 そんなに珍しいことではないだろう。

自分の経験から思うに、夢解釈ではついつい、内容を過大評価したり、 自分の都合のいいように解釈してしまいがちである。これはよくない。
夢とはほとんどの場合、現実のストレスのはけ口に過ぎないと思う。遅刻しそうになのに足が動かなかったり、 車をうまく運転できなかったり、あるいは空を飛んでしまったり、すべて昼間の世界でのストレスの反映である。 片思いの相手と恋仲になったり、あるいはセックスしたり、これも単なる願望の充足に過ぎない。 けれど、いままで見たことのないタイプの夢を見たときは例外で、注視しておいたほうがいいと思う。 夢が「夢主」になにか重要な気づきを語りかけてくれる場合もあるかも知れない。

直感力にすぐれた人は、自分の目で見たものだけを信じればいいと思っているに違いない。 夢なんてどうでもいい。それは、強い生き方だと思う。 けれど、ぼくはユングの「私の一生は、無意識の自己実現の物語である」 という言葉がいまでも心に引っ掛かっている。

夢を記録するということは、自分の魂に耳を傾けるということだ。

記録し意識すること、 あれこれ考えをめぐらすことで無意識を刺激することが出来る。土に蒔かれた種子に、水をやるようなものである。 そこから最終的に浮かび上がってくるのは、自分がこの世に存在する、ほんとうの意味、 使命のようなものだと、ユングは言っている。

それがわかっている人は、それでいい。迷いの少ない人は、そういうことを意識することすらないだろう。 けれど、ぼくのように道草ばかりしてきた人間にとって、これは避けて通れない問題である。 一人ひとりの人間に(かならず)生きている目的、使命というものがほんとうにあるのなら、 ぼくもそれに「気づきたい」と思う。

使命はおそらく、思いがけないかたちでやって来る。 それは、自分がいま望んでいることとはかけ離れているかも知れない。 場合によっては、自分の幸福を犠牲にしなければならないようなものかも知れない。
けれど、それは決して自分の能力を超えるようなものではない。 むしろ、いままで愛せなかったものが愛せるようになる、と表現できるものではないかと思う。

なんだか、わくわくするではないか。
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by thatness | 2004-09-20 14:53 | わたし

アジサイ君のこと

小学校の低学年のころの思い出話。

毎朝、自宅を7時過ぎに出た。紺色の制服と制帽にランドセル。 半ズボンのポケットには紐でくくりつけた二枚の定期券が突っ込まれている。 細い泥んこ道を、転ばないように気をつけながら下り、やがて公立の小学校の裏門に出る。 近所の友達はみんなここに通っている。けれど、わたしは素通り。某大学の「ふぞく」小学校にバスで通学していたのである。

なにゆえ、公立の小学校へ行かなかったか? 家族の事情もあったが、自分自身もどうしても行きたかったというのもある。 とにかく制服がかっこよかった。紺色のジャケットと半ズボン、それに制帽。 まるで、あこがれの寝台特急さくら号の運転士みたいではないか。これで、決めたのである。

実ははぼくは、右足がほんの少しだけ不自由である。 生まれてくるときに左の股関節がはずれてしまい(先天性股関節脱臼)、後遺症が残っている。 といっても左右の足の長さが数センチずれているだけで、日常生活にはまったく問題はない。 職場でも、足を引きずって歩いているのに気がつく人はほとんどいない。しかし、小学校では大変な目にあった。

歩くぶんにはクラスメートとほとんど変わらないが、走ると駄目である。足を引きずっているのがもろにわかる。 無理して走ると足はこびが内股になるらしく、「うちまた」というあだ名までつけられてしまった。 なよなよしていて、男らしくないというわけなのだ。

かけっこの時はつらかった。もう圧倒的に足が遅い。 歯を食いしばって足を動かしても、クラスメートの背中がみるみる小さくなっていく。 そんなぼくに容赦なく「うちまた!うちまた!」と野次がとぶ。からかうのはクラスメートだけではない。 3年生の時の担任の教師。事情を知らなかったのかも知れないけど「志久の走り方はおかしいぞ」と、 なよなよと内股走りを真似してみせて物笑いのタネにした。足のせいだけではなかったかも知れないが、 「ふぞく」ではほんとによくいじめられた。おどされたりケンカをふっかけられたり。 何の抵抗も出来ずに、毎日泣きべそをかいていたのを思い出す。

クラスメートの一人、ここでは彼の名を(学校のあった町の市花にちなんで)アジサイ君と呼ぶことにする。 アジサイ君は、背は低かったが、運動神経は抜群であった。 かけっこはいつも一番である。活発で、いつも運動の出来る男の子たちとつるんでいる。勉強もよく出来た。

彼もまた、わたしに野次をとばした一人であったかも知れない。あまり仲が良かったという記憶はない。 ついでにいうと、彼は国会議員の息子であった。当然、あこがれの東海道新幹線「ひかり」号に乗って東京にもよく行っていた。 九州を出たことのなかったぼくには、同級生ながら雲の上のひと。 その彼が、この時代のわたしに忘れられない思い出を授けてくれたのは、体育の時間である。

かけっこでいつもどんじりで、野次られてめそめそ泣いているわたしを憐れに思ったのだろう。 クラスメートに「一度、こいつに勝たせてやろうや」という提案をした。もちろん誰も同調しなかった。 手加減をして先生に睨まれるのが恐いというより、面倒臭かったのだろう。 それでもアジサイ君は何人かのクラスメートを引き込み、おなじ組で走ってくれた。

ようい。どん。スタート...。 半信半疑であった。本当に一番にしてくれるのだろうか。たしかに、アジサイ君はじめ、 クラスメートはぼくの後ろをゆっくりと走っている。一番である。けれど、気持ちはもやもやしていた。 いかに泣き虫小僧でも、情けをかけてもらう自分が惨めだった。 ふてくされているうち背中にバタバタという足音が近づいてくるのが感じる。このままま抜かれてもいいや。 早く抜けよ。ほとんど歩きかけたとき、真横にアジサイ君が並んで罵声をとばした。「走れ!走れ!」

本気で怒らた。「走らんか!」と...。びっくりしてピッチをあげる。無我夢中だった。 クラスメートたちの足音が、もう一度どんどん遠ざかっていく。目の前には誰もいない。 一番を走ることの解放感が込み上げてきた。ゴールに向かって先頭を走っている自分がうれしくて、気持ちよくて仕方がない。 油断していると、ふたたび足音が聞こえてきた。闘志が湧いてきて、なにがなんでも一番で走り抜けてやるという気持ちになった。 クラスメートが手加減してくれていることはすっかり忘れ、全力疾走。そのままゴールを駆け抜けた。

やった。やった。やった...。

アジサイ君がそばに来て、何も言わずにはあはあと息をしている。ぼくは彼にお礼のひと言をいえなかった。 「ありがとう」と言ったらそばにいる先生が彼を怒るかも知れない。 そんな思いもあっただろうが、ただでさえ内気だったぼくは、興奮して口がきけなくなっていた。 クラスのいじめられっ子が、人気者に初めて感じる親近感。とうてい言葉で表せるものではなかった。

体育が終わってから、アジサイ君は走り方を教えてくれた。 腕を振れとか、前をしっかり見ろとか、先生がいうことをそのまま言っただけでだったけれど、 一緒に運動場を一周してくれて、ほんとうにうれしかった。もちろんそれでかんたんに足が速くなるはずはなく、 その後の中学、高校と、短距離走ではどんじりの座を明け渡すことはなかったのだが。

はっきりいって、あの時の一番は、ぼくのかけっこ人生で最初で最後の一番であったろう。間違いない。 そういう意味で、いかに貴重な体験だったか、長い時間がたってこそわかる。アジサイ君はお情けで一番をくれたのではない。 全力疾走の開放感、自信を持つことの大切さ、達成感の気持ちよさを教えてくれたのである。

アジサイ君、ありがとう。

彼の名前は、いまでのはっきりと覚えているが、ぼくはその後「ふぞく」を転校してしまい消息はわからない。 Googleで名前を検索をかけたこともあるのだけど、ヒットしなかった。 紆余曲折あったものの、いまだに現役の国会議員である彼の父親だと、数千件のヒットがあるのに...。 アジサイ君は、ぼくにとって忘れることの出来ない、というより、忘れてはいけない大切な存在である。
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by thatness | 2004-07-05 14:29 | わたし

地上の歩き方

頭の回転がのろいせいか、詩を書くのにいつもものすごい時間がかかる。 しかも長いものが書けない。 サイトにアップしている作品「地上の歩き方」は、100行以上の詩を半年以内で書き上げよう、 中身はどうでもいいから(ホントにそう思ってました)なにがなんでも100行という明確な目標のもとに書いた。 仕上がるまでに10ヶ月以上もかかってしまったけれど、そのかいあっていいものが出来たと、密かに思っている。

ある日、思いたってGoogleに「地上の歩き方」を入力し、検索をかけてみた。

42億のウエブページの中からヒットしたのはわずか7件で、そのうち6件がこの作品関連のページ。 意外と少ないのでおどろいた。「地上の歩き方」なんてナンセンスなフレーズだけど、シンプルではあるし、 同じようなアイデアでなにか考える人はほかにもいるのではないかと考えていたのに...。

残りの一件はなにかというと、実はバードウオッチングのサイト。

野鳥を識別するために、鳥たちのの「地上の歩き方」を観察するという方法があるらしいのだ。なるほどね。 鳥は空を飛ぶ生き物だから、地上の歩き方という表現はナンセンスではない。 逆にいうと、鳥の場合は「空の飛び方」というのがナンセンスになるのだろうか。 人間が考えるほど、鳥も自由ではないのだろう。 しかし、そもそも自由って...ぼくの云い方でいえば「(思い通りの)地上の歩き方」になるけれど、それってなんだ。

「この半世紀以上、日本人は自由ということの意味を取り違えてきた私は思っている。 自由とは束縛を免れた状態と多くの人がとらえてきたが、実は自由とは使える技が多いことではないだろうか。 (中略)技の選択肢が多いほど、プレイは自由自在になる。モーツアルトがピアノの技術に習熟していなければ、 ピカソが絵画の基礎技術を身につけていなければ、あのような大成は望めなかっただろう」 (『自分を生かす極意』齋藤孝 マガジンハウス)

絶対音感のない大作曲家もいたし、美術館の警備員から抽象画の大家になった画家もいるので、一概には基礎技術がすべて、 とはいえないけれど、自由イコール束縛を免れた状態、ではないとぼくも思う。 ピアノが弾ける自分が「自由な自分」であるのなら、楽譜が読めて自在に打鍵ができなければならないだろう。 小説を書く自分が自由であるのなら、言葉による描写や物語の叙述する技量を身に付けなければならない。 自由に生きる人生とは、勝手気ままに生きることではないのは間違いない。

しかしながらぼくはいまだに、「曲がりくねった混沌を、ためしにまっすぐ歩いている」。 使える技としての、自由がないわけじゃないが、それが自分の生活を支えるほどのものになるまでは至っていない。 ぼくに出来るなにかが、ほんの少しでも誰かのお役に立つこと、そのことを信じて一歩ずつ歩いていくしかない。 誰かにきっと求められている...と信じるとき、ぼくは「自由」を感じている。
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by thatness | 2004-06-28 14:24 | わたし