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カテゴリ:音楽_rock,others( 7 )


小日記

シド・バレットが死んだらしい。
新聞の社会面に記事を見つけたとき、思わず声を上げてしまった。現役の歌手ならともかく、引退してすでに、30年か...それ以上たっていたはずだ。記事になるくらいだから、それだけ影響力の大きい人物だったんだなと思う。

25年前、FMで聴いた「ドミノ」は強烈だった。好きなアーチストの新曲でさえ繰り返し聴かないとアタマにはいらない自分だが、この曲は一発で記憶に残ってしまった。ブライアン・イーノの歌ものなんか、彼の影響がかなり大きいのではないか。手元にあるアルバムはレコードなので、もう10年以上も「ドミノ」は聴いてないが、アタマに焼きついているので聴かなくてもいいかな。(アーチストが耳にしたらむちゃくちゃ落ち込むような言葉です...)

なんというか...われわれ世間は、彼を尊敬しつつもいつのまにか「伝説」に祭り上げ、結果として音楽界への復帰や社会復帰を阻害していたのかも知れない。ドラッグで精神を病み、治療でかろうじて自分をささえていたシド。肉体を失ったら、薬物とは完全に縁が切れる。天才の魂よ、安らかなれと言いたいです。

 ++
さて、お知らせをひとつ。

作る作るといいながら進まなかったサイト開設2周年記念スタバ・タンブラー(8オンス)のオリジナル・ドローイングですが、リクエストを募りたいと思います。いちおう10点程度作りますが、3点すでに差し上げることになっているので、あと7点です。ご希望の方は、サイトのメールフォームか、メアドをご存じの方は直接メールでお知らせください。

また、詩の同人誌『旋律』2006年夏号も発刊されました。
今回はぼくも3篇の作品を掲載させていただきましたが、全体としてなかなか力作が揃ったように思います。こちらもよければさし上げますので、ご連絡ください。

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締め切りました。ありがとうございました。
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by thatness | 2006-07-13 17:59 | 音楽_rock,others

FM雑文

日曜日はひさびさに青空がひろがった。
台風の影響からか強い南風が吹き、アイスクリームの固まりのような雲がびゅんびゅん流れていく。 まるで、地球の自転を肌で感じているような開放感である。

絵の具と紙屑でぐちゃぐちゃになった部屋を掃除しながら、FMでユーミンと山下達郎のDJを聴いた。 日曜日の午後はFMをのんびり聴くと和むな。どちらのプログラムも面白く、電気掃除機がかけられなくなってしまう。

ちょっとご紹介すると...。

ユーミンのプログラムは「飲料水の特集」だった。 世界各地から取り寄せたミネラルウオーターをユーミンが試飲して、その印象をトークで伝えるというもの。 ありがちな企画なのかも知れないけど、ユーミンは言葉のインスピレーションが抜群にすばらしいひとなので、じつにじつに面白かった。 ただの飲料水の話なのに。

つねづね思うのだけど、ユーミンは相手に何かを伝えようとするとき、目の前にあるものの客観的な描写より、 まず心に生じたインスピレーションを正直に言葉にしようとする。これは簡単なようでとてもむずかしい。 人間はどうしても先入観にたよってしまう生き物だから。

昨年だったか、NHKの新日曜美術館(マチスの特集だった)に出演したとき、「マチスの何がいちばん好きですか」との質問に、 彼女は「...まず名前が好きですね」と答えていた。すごい。
もしおなじ質問をされても、大半のひとはマチスの色彩だのフォルムだのから言葉を拾おうとするにちがいない。しかし「名前」である。 しかもコメントされて初めて、われわれはマチスの色彩とおなじくらい、その名前の響きを愛しているのに気づかされる。 自分のインスピレーションに正直な言葉が、逆説的に物事の本質にするどく迫る...すぐれた表現とは、そういうものなのである。

山下達郎のプログラムは、いつもの「たなつか(棚から一掴み)」特集ではなくて、70年代の日本のロック特集。 先ほどのユーミンと井上陽水、かぐや姫が全盛の頃、こんな素晴らしいアーチストがいましたよ...という。

オンエアされたのは、久保田真琴と夕焼け楽団の「初夏の香り」。 これは、ハワイアン風にアレンジされた、すばらし〜いバラード。 カセットテープで持ってるんだけど、なかなか聴く機会がなく、何年ぶりかで耳にして感動した。J一郎くん、ダビングありがとうございました。
それと古井戸の「らびん・すぷんふる」。古井戸は、仲井戸麗市がRCサクセションに参加するまえに結成していた伝説的なフォークグループ。 はじめて聴いたけど、最高である。いいに違いないと思ってたけど、やっぱりいいな。ラヴィン・スプーンフルに全然負けてない。

そして、四人囃子の「空飛ぶ円盤に弟が乗ったよ」。

四人囃子というと、マニアにはおなじみの和製ピンクフロイドというか、まあそういうレッテルを貼られていたプログレ系のバンドだった。 先入観もあっていままで(だって、プログレだぜ...)まったく触手がのびなかったのだが、すごいすごいすごいいいのである。

サウンドはEL&Pに近いかな。演奏能力は非常に高い。 ...いや、高いとは聞いてたけど(メンバーはいまや日本を代表するスタジオミュージシャン)、こんなにすごいとは。 デビュー当時、彼らはハタチそこそこだったはず。 が、なによりいいのは歌詞だ。シュールでノスタルジックで、まさに70年代!  言葉は視覚的で、物語性も深く、世界がすっとアタマに入ってくる。サウンドに日本語が見事に乗っかっているのだ。 こんなプログレ、世界中どこをさがしても絶対にないだろう。嗚呼、アマゾン(とヤフオク)巡礼は終わりそうにない。

というわけで、気持ちのいい午後はあっというまに消えていった。
トリュフォーの映画ではないが、日曜日が待ち遠しいぜ。
ひとりでラジオを聴くために。

もちろん空は晴れてほしい。



蛇足
++
いわゆる「キャプテン翼世代」。
上には上があるようです。
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by thatness | 2006-07-12 11:57 | 音楽_rock,others

声の体験

人間の声ってすごいぜ。
土曜日と日曜日と、2日つづけて人の声の美しさに触れた。触れたというより、浴びた...というべきか。 瀧のそばで水しぶきを浴びたときのような、クールな陶酔。

まずは土曜日、福岡で元ちとせのコンサート。 念願だった彼女の歌声を、(もちろんPAを通してではあったけれど)ようやく目の当たりにすることができた。 新しいアルバム『ハナダイロ』からの曲を中心に20曲くらいは歌っただろうか。 そのうち7〜8曲は...泣きながら聞いた。音楽を堪能しただけでなく、自分自信への気づきというか (ちとせの曲のタイトルを借りるならば)「黎明」のようなものも得たかも知れない。後日、ライブレポを書くつもりです。

で、日曜日。

地元で開かれた「6月のひまわり」のフリーコンサートに足を運ぶ。
「6月のひまわり」というのは、2年前に地元で起きてしまったある事件をきっかけに生まれた曲である。 地元ではよく知られた曲なのだけど、ぼく自身はさまざまな理由から曲に抵抗感を感じるところがあり耳にしてこなかった。 しかし先月、関係者の方からCDを聴かせていただく機会があり、音楽としての純度の高さ、美しさにびっくりしてしまった。

CDでは、聖和女子学院という地元のミッションスクールのコーラス部が歌っている。 聴いて即座に、モーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を連想した。基本的に注文仕事しかしなかったモーツアルトが、 家族を援助してくれた合唱指揮者(とアマチュアのコーラス)のために、損得抜きで書き上げたモテットである。 クラシックの名曲は、大半がプロの演奏家にしかその神髄を見せない音楽だけれど、 アマチュアにも門戸が開かれている「傑作」を書いたのはモーツアルトだけかも知れない。 「6月のひまわり」も、そのように「歌いつがれる」名曲であってほしいと思う。

さて、フリーコンサートでは、その聖和女子学院のコーラス部の合唱を生で聴くことが出来た。 やはりCDとは違う。ふたつのスピーカーから出てくる音と、目の前で数十人の人間の身体からあふれてくる声とでは、全然違うのである。

女の子たちは両脚をすこし開いてしっかりと立ち、おなかからたっぷりと空気を吸い込み、声を出している。型だ、と思った。 齋藤孝先生ではないが、イチローや王貞治のバッティングフォーム、座禅の坐り方とやっていることは同じ。 顔も背丈もちがう女の子たちがひとつの型の下にまとまり、シンプルなひとつの声になる。 放たれるハーモニーの透明感あふれる美しさ...。

ハーモニーは、言葉やメロディとはあきらかにちがう、と思った。 それは音の線ではなく「響き」のグラデーションといったらいいだろうか。 空気のふるえが目に見えるようで、身体全体の知覚に訴える力がある。 よほど高価なオーディオでないかぎり、これは生で聴かないと体験できるものではない。

「6月のひまわり」は、とてもよかった。
作詞をしたのは中学1年生の男の子、作曲をしたのは高校3年生の女の子(当時)というのがちょっと信じられない、ほんとうにいい曲である。 目の前で、女の子たちの息を感じながら聴くと、失われた命そのものが、言葉と音符のなかで生き、呼吸をしているような感じを受けたし、 深いハーモニーはその彼方の世界までも映し出してくれたように思う。

そして2曲目の「アヴェ・マリア」も忘れられない。いったい誰の曲だったのだろう。 いくつもの声部がポリフォニックに絡みあう様は圧巻で、教会のステンドグラスの光が(時間の流れを跳び越えて)交錯し、 跳ね回っているいるようなイメージを持った。

コーラスは、音楽のもっとも古い型のひとつ(たとえばグレゴリオ聖歌)だ。 ジャズやロック、クラシックが消滅しても、コーラスが消えてなくなることはない。 ブルガリアン・ヴォイス、バリ島のケチャ、現代音楽のメレディス・モンクと彼女のヴォーカル・アンサンブル。 人間が声をあわせて歌い、ハーモニーを奏でるのは、特別のことだと思っている。

それにしても、どうしてこの2日間に集中して、こんな体験をしたのだろうか。

そういえば、フリーコンサートでアイルランドの民族音楽も披露されたが、 「オクラホマ・ミキサー」が出てきたときにははっとした。 学生時代に8ミリ映画で使ったことがある曲で、 そのときの音源を(グレゴリオ・パニアグア指揮、アトリウム・ムジケー)先日ネットで購入したばかりだったのだ。

意味のある偶然がつづくと、なにかしら、自分のなかから大切なメッセージが出ているような気がしてならない。 しっかりと耳を澄まそうと思う。

website.6月のひまわり
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by thatness | 2006-06-06 16:40 | 音楽_rock,others

山崎まさよし 10th Anniversary LIVE [ARENA2005]

ぼくは山崎まさよしが大好きである。大好きなのである。

今年のデビュー10周年記念イベントの最後を飾るコンサートツアー「アリーナ2005」に行って来た。 12月10日、マリンメッセ福岡。席はアリーナの6列、21番。ステージ正面で歌う山崎からは距離にして20メートルくらいだったろうか。 今年はコンサートの席運が特によかったが、まさか(ファンクラブ先行発売とはいえ)こんないい席が転がり込んでくるとは思いもよらなかった。 今年の運をうまく使い果たしたというべきか、あるいは来年の運まで前借りしてしまったというべきか...。

ツアーは11月から始まっているので、ネットをうろうろしていると事前の情報はどんなに耳を塞いでも入ってくる。 中村キタロー、江川ゲンタと組むいつものトリオバンドにストリングスが付いていること。 一部の曲だけではなく、コンサートの頭から最後までサポートしていること。

この情報に、ぼくはあまりいい印象を持てなかった。大貫妙子や佐野元春に、ストリングスを前面にフューチャーしたアルバムがある。 ある程度キャリアの積んだアーチストは、しばしばこういうことをやりたがる(ような気がする)のだが、 アーチスト本来のグルーブが失われてじつに退屈なアルバムにしか仕上がらない。 いいアレンジに恵まれなかったといえばそれまでだけど、いい年をしていつまでもやんちゃしてられない...大人の鑑賞に堪えうる音楽を、 という自省がそういうアルバムを作らせるのかも知れない。ファンにとってみれば、いつまでもやんちゃでいて欲しいのに...。 というより、ポップ・ミュージックはカジュアルで、極言すると使い捨て音楽であっても全然かまわない。 いいものは無理に残そうとしなくとも、自然と残る。 デビュー10周年をむかえ、過去の楽曲に自信を持ちはじめた山崎まさよしが二の轍を踏まないか、ちょびっと心配ではあった。

開演の5分前、緞帳の下ろされたステージの先端に並んだバリライトが(ウオーミングアップなのか...) いかにもそれっぽく上下左右縦横無尽に動いては止まる。かっこいいぞ。いよいよだな...。
照明が落ち、山崎まさよし本人のナレーションが流れ、 チェロの独奏が大音量でかぶさった。音が...なかなかよいではないか。緞帳がせり上がり、ステージを見上げてでんぐり返ってしまった。 ストリングス...何人いるんだ。せいぜいクインテットか、オクテットくらいだろうと思っていたのに。 指揮者が右手でキューを出すと、ストリングスの艶やかな大音量にからだが吹き飛ばされそうになった。 子どもの頃、社会見学でダムの大放水を見たことを思い出す。恐怖を感じるくらいの迫力だったが、瀑布の真ん中に虹が立っていたのが忘れられない。 気がつくと、山崎まさよしがステージの真ん中で「あじさい」を歌いはじめていた。 声が実によく伸びている。まさに虹...。PAの力を借りるライブでは、初めの数曲はどうしても音のバランスが悪いものなのだが、 この音の良さはどうだ。ぼくの心配はまったくの杞憂であった。

「やわらかい月」で 中村キタロー、江川ゲンタが登場。トリオバンドとストリングスのコラボがはじまる。 「ふたりでPARISに行こう」「メヌエット」 「Plastic Soul」...。アレンジはとてもいいと思った。 いい曲はあらためていい曲だと感じたし、あまりなじめなかった曲(「メヌエット」)も こんなにいい曲だったかと嬉しい発見をした。
ライブ前半の白眉は「水のない水槽」だろうか。キタローとゲンタがステージの両端にあぐらをかいて坐り、それぞれジャワのガムラン(と思う)、 インドのシタール(か、それに類する楽器)と神妙な顔つきで格闘している。 ふたりのキャラとの落差につい笑ってしまうぼくらオーディエンス...笑。 するとほどなくして、ストリングスが現代音楽っぽいグリッサンドや激しいピチカートをたっぷり響かせ、不気味な音のカオスで会場を黙らせてしまう。 なかなかの緊張感。ストリングスの面々も腕の見せ所だっただろう。いったい何がはじまるのか...キタローがすこしずつ曲のイントロを奏ではじめ、 ようやく正体が見えてくる。ちょうど灰色の雲間から、陽の光が射すような感じである。聴かせるなあ、と思った。

ストリングスの強みは、歌い手とおなじように「歌う」力があることだろう。歌手が言葉で歌うものを、ストリングスは言葉なしでしっとりと (パワフルに)歌うことができる。結果として、聞き尽くしたはずの楽曲がさらに深く美しい曲として胸に迫ってくる。 ぼくははまだ、トリオバンドでのライブは未体験。ストリングスがサポートすると知っていちどはがっかりしたが、 今回これほど充実したライブを聴かされると、ずっとこのスタイルで山崎を聴きたいと思ってしまう。

後半の「ぼくと君の最小公倍数」で、山崎はエリック・クラプトン?と化した。エレキによる、ごりごりのブルースギター。 嗚呼、これが聴きたかったっ! アリーナのオーディエンスは総立ちになる。 ここからストリングスは沈黙するのかと思いきや、ジャズっぽいダルなメロディでトリオバンドをサポートしている。 いいぞ、いいぞ。アレンジが素晴らしいじゃないか。ぼくの席位置がよすぎたのかもしれないけれど、 トリオバンドとストリングスはほどよく溶けあっていたように思う。水と油なんかではなかった...。

それから先は、完全にキレた。おなじみの「FatMama」、「ヤサ男の夢〜昼休み」のメドレー。 まさか聴けるとは思わなかった「審判の日」。そして「僕はここにいる」。 アンコールでは、ステージ下手に小さな4畳半風呂無しアパート部屋風のセットがあらわれ、トリオバンドの3人で小ネタ。 これはぼくの席のほぼ真ん前であって、3人と一緒に酒盛りをしているような臨場感を味わえた。 歌詞を知らないのにごまかしながら熱唱した「time after time」(シンディ・ローパー)には爆笑。 スタンド席、アリーナの後方の席のオーディエンスは何をやっているのかわからなかっただろうけど(この場を借りて、ごめんなさい...) とっても楽しかった。堪能いたしました。

今年4月の「OKST2005」では、会場のあまりの盛り上がりに「すげぇ...、すげぇ...」と独り言?をつぶいていた山崎まさよし。 今度のライブはこっちが「すげぇ...」とつぶやく番だった。これほど充実したライブは(クラシックを除外すると)もう二度と味わえないかも知れないな。 終了後、あちこちから「やっぱり10周年よね〜」という声がきこえてきた。どんなライブにもひとつやふたつケチをつけたいところがあるのだけれど、 今回は見つかりそうもない。

ちなみに、ストリングスを指揮していたのは(会場で初めて知ったのだけれど)服部隆之さん。 彼は『音楽畑』のシリーズで有名なトップアレンジャー、服部克久さんの息子さんである。 ということは、日本の歌謡曲の父的存在、服部良一の孫ということになる。 服部良一は、戦前から日本の映画音楽、流行歌で大きな業績を残した方だ。笠置シヅ子の「東京ブギウギ」、高峰秀子の「銀座カンカン娘」などなど。 日本のアルフレッド・ニューマンといってもいいかも知れない。

そういえば、山下達郎はかつて「新・東京ラプソディー」という曲を作り、昭和歌謡をささえた服部良一へのオマージュをささげたことがあった。 (「東京ラプソディー」の作曲は古賀政男) 曲そのものは山下達郎スタイルだが、 歌詞は古き良き東京を追想するウキウキしたイメージで書かれている気持ちいいナンバーだった。 さらににいうと、そのころ製作した『僕の中の少年』というアルバムには、ストリングス・アレンジを服部克久さんに依頼した曲が含まれている。
山崎まさよしのなかに、服部ファミリーの業績のことが頭にあったかどうかはわからない。しかし結果として、かつて山下達郎がこころみたような、 日本の軽音楽(死語?)の伝統と歴史を自分とつなげてみるこころみが、このライブで実現したように思う。

服部隆之さんのストリングスには、父や祖父が培った感性が受け継がれている。というのは、 今回あらためて山崎の楽曲に酔いながら、どこか昭和の匂いのようなものを感じる瞬間があったのだ。

「ヤサ男の夢〜昼休み」でのストリングスは最高だった。実にブギウギしてて...笑。こういうアレンジなら、 美空ひばりがノリノリで歌っただろう...と思うと(全然、美空ファンではないくせに)胸がいっぱいになった。 それだけのクオリティがこの曲にはある...ということに遅ればせ気がついた。 それならば「ふたりでPARISに行こう」は越路吹雪に...というのはちょっと無理がある? いずれにしろ、 服部隆之さんのストリングスには感動した。時代を50年さかのぼっても、たとえば「やわらかい月」は受け入れられるだろう。 50年後ももちろん、誰かが聴いているに違いない。

ぼくは今回のライブで、恥ずかしながら2度も落涙してしまいました。

「あじさい」と「ツバメ」である。とくに「ツバメ」は...ほんとうによかった。こんなに力強い「ツバメ」が聴けるなんて思ってもみなかった。 山崎まさよしのファンでよかったと思う。皆さまも是非、お聴きください。

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追記
++
長崎で『8月のクリスマス』(山崎まさよし主演、リメイク版)を見てきました。

残念ながら、とても他人におすすめ出来るような映画ではありません。山崎にも、その他スタッフ、キャストにも非はありません。 とにかく監督がヘボいのです...。あまりにもヘボ過ぎ。カメラは長田勇市さんなのに、まったく。
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by thatness | 2005-12-31 02:02 | 音楽_rock,others

ジョン・レノン『シェイヴド・フィッシュ』

昨晩。
仕事のストレスが溜まっているせいか、ひさしぶりに心理的にやばい状態になる。 処方してもらってるクスリを服用しているのに不安感をコントロール出来ない。過去のいやな記憶がつぎからつぎへとわき上がってきて、 胸に焼け火箸を押しつけられているような気分に襲われる。それでも、こういうときは家族と会うのを避け、 睡眠をたっぷりとれば回復するとわかっている。灯りをつけたままベッドにもぐりこみ、ごく小さい音量でジョン・レノンをぼんやりと聴く。 『シェイヴド・フィッシュ』。

ジョン・レノンを聴くなんて何年ぶりだろう...というより、どうして聴きたくなったのだろう。 『シェイヴド・フィッシュ』は、レノン存命中にリリースされた唯一のベストアルバムである。 「愛と平和のジョン・レノンも結構だが、狂気とロックンロールのジョン・レノンがもっと知られていい」といったのはロッキン・オンで執筆活動を続けている松村雄策さんだが、 このアルバムは「愛と平和のジョン・レノン」への偏向が無いので、とても愉しめる。

「コールド・ターキー」。最高である。

ローリング・ストーンズの「無情の世界」は傑作だが、ヴェルディやモーツアルトがすでにおなじものを書いていたかも知れない。 けれど「コールド・ターキー」は、ジョン・レノンにしか書けなかったというのは当然として、 ロックンロールだけが唯一到達できた境地という意味でもすごいもんだなあと、思う。 曲の後半の有名なスクリーミングは、「愛と平和のジョン・レノン」しか聴いたことがない方々には信じられない世界だろう。 一見支離滅裂に聞こえるあんな声が、何度聴いても飽きないし新鮮なのはなぜか。それは、美しいから...そのひと言に尽きる。
美しいというと誤解を招きそうだが(コールド・ターキーとは、薬物依存症患者の禁断症状のことを指すスラング)、 ジョン・レノンというひとはもがき苦しめば苦しむほど、無垢になっていく人だったような気がする。ジョン・レノンの狂気に、 暴力や悪徳の匂いは無い。新生児のような無垢を感じさせる狂気なのである。

聴いていたときには忘れていたが、今日(木曜日)は彼の命日である。日本では12月8日。現地では7日...。 何年かぶりで聴いたその日が命日の前日だなんて...。まあ、たんなる偶然でしょうけど。

そういえば彼が射殺されたというニュースを、ぼくは大学一年の時、下宿の部屋のラジオで聞いたのだった。 NHKの夜のニュース、「元ビートルズのジョン・レノンが...」ぼくはそのあとに 「多くのファンに迎えられ成田に到着しました」という言葉が続くものだと思っていた。 ソロになり、ほとんどライブをしたことのなかったジョン・レノンは、日本を皮切りにツアーを行なうと発表していたからだ。 それがまさかまさか...だったのである。

『シェイヴド・フィッシュ』は1975年にリリースされたアルバムで、収録曲も少ないが、とてもいいアルバムだと思う。 『ジョンの魂』と『イマジン』とあわせて、この世に生まれた以上聴いておいて損はない音楽としておすすめします。

もうひとつ、1974年の『ウオール・アンド・ブリッジ』も大好き。
スリーヴデザインには、彼が子どもの頃に描いた絵がそのまま使われているのだけれど、内側にすごい絵がある。 銃を構えて馬に乗っているインディアンの絵なのだけれど、アングルがとても変。松村雄策さんも書いていたが、子どもが動物を描くときは、 ほとんどの場合真横から見た姿になるはず。しかしジョン・レノン少年はなんと、正面から馬が突き進んでくるようなアングルで描いている。 銃口をわれわれに向けているインディアンはちょっと怖い。さらに絵をよく見ると、インディアンを乗せた馬は、目がひとつしかない。 顔の真ん中にたったひとつである。

ジョン・レノンとは、そういうひとだったのである。
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by thatness | 2005-12-08 00:16 | 音楽_rock,others

大貫妙子ライブ、佐世保

10月11日、体育の日。
大貫妙子が日本のトップミュージシャンを引き連れ、ほんとうにわが町にやって来た。 会場はアルカスSASEBOの中ホール。ここで何度かご紹介しているクラシック専用のシューボックス型のホールである。 ステージは奥行きがないので、客席との距離感がほとんどない。まるでライブハウスのような雰囲気。

舞台が暗転して、ご本人が登場。ピアノ、ギターとのトリオで「横顔」を歌いはじめた。 鳥肌が立つとよくいうけれど、ほんとうに立つものなんだなあ...と腕をさすりながら思う。 フェビアン・レザ・パネのピアノ、山弦の小倉博和のギター。ジャズテイスト満点の、しびれるようなサウンドである。 これだけでもじゅうぶんかっこいいのに、大貫さんの生の声で、しかも「横顔」なのである。 なんと表現していいのか形容詞が見つからない。その音楽がどれほど素敵だったか、わかるひとはわかってくれると思う。

正直にいうと、最近はほとんど大貫妙子を聴いていなかった。 いちばん愛着があるのは初期の70年代のアルバムで、あとはミディ時代の小林武史さんと組んで製作していた頃のもの。 最後に買ったアルバムは『ドローイング』なので、かれこれ15年くらいは聴いてこなかったことになる。 大貫さんはストリングスをバックに歌うのを好むようで、アコースティックなクラシックテイストの曲がいろいろとある。 悪くはないが、彼女の声をストリングスをバックに聴くと、曲が甘くなりすぎるような気がしてイマイチだった。 ぼくは70年代のファンキーでタイトな演奏をバックに歌っていた頃の大貫さんがいちばん好きだ。 あの頃のサウンドはもう聴けないだろうと勝手に思い込んでしまい、フォローするのを止めてしまったのである。

ところが、大貫さん自身のMCによると、ここ数年は気心の知れたミュージシャンとともに、 リハーサルでアレンジを練り上げた上での一発録りの製作にこだわっているという。 原点に戻って、ミュージシャンシップあふれるスリリングな音を聴かせてくれるようになっていたのだ。 佐世保に来てくれたミュージシャンも、最近のレコーディングメンバーである。
2曲目から残りのメンバーが登場。後半までずっと新しい曲が歌われていく。当然、ぼくの知らない曲ばかり...泣。 けれどじゅうぶんに楽しめる。アレンジは70年代風のファンキーというより、 ボサノバ風というかラテン系のグルーブではあったけれど、レトロにならないところはさすが。 実にコンテンポラリーなのである。そういえば山崎まさよしも、ライブではラテン系のグルーブで曲を引っぱる傾向が強い。 ラテンは、最近のトレンドなのだろうか。大貫妙子はまだまだ第一線のアーチストなんだなと、しみじみ思う。

結局、今回のライブでぼくが知っていた曲は「横顔」のほかには、フェビアン・レザ・パネのソロをバックにしっとりと歌い上げた「突然の贈り物」、 最後に抜群のノリで切れ目なく演奏された「夏に恋する女たち」、「都会」。アンコールの「海と少年」。5曲のみ。 でもまあ、いいや。新しいアルバムを買ってライブを追体験しよう。

残念なことに、最近の大貫さんには、坂本龍一や矢野顕子のようにアルバムのたびに全国ツアーを組めるようなセールスがない。 今回のツアーも、アルカスの企画に大貫さんがオーケーを出したまったくの単発ライブである。 今度はいつ聴けるかわからない、いまから思えば実に貴重な体験だった...。

大貫さん自身も、コンサートの前半はものすご〜く緊張していて、MCも途切れがち。 大都市で開くライブと違い、彼女のコアなファンばかりが集まっているというものではなかったからだ。 それでも熱烈なファンというものはいるもので、会場の前のほうで、手製の団扇のような紙を振りかざしている人が...。 「...?」と、見つけた大貫さんがひと言。「...妙子って書いてあります...」会場に静かな?爆笑。 間髪を入れず大貫さん、「本名です」。ははは。
そんな感じで客席の雰囲気は徐々によくなり、メンバーもリラックス。プレイがどんどんノッてくる。ひさしぶりのライブが楽しくて仕方がないという感じなのである。 大貫さんも、声の調子はいまひとつでやや苦しそうではあったが、アルバムで聴くつややかな声色は最後まで失われることはなかった。 素敵な、素敵なライブであった。

コンサートの最後では焼酎?やら花束を渡すファンがステージに殺到して、大貫さんと握手をしたり言葉を交わしたり。 最後の最後はほんとうに盛り上がり「あたたかい拍手ですね、心からの。うれしいっ」と、大貫さんもうるうる気味...笑。 公式サイトの日記ログにも、そんな佐世保のうれしい体験のことが書いてある。ぼくら地元のものたちにとっても楽しいライブだったが、 大貫さんとメンバーたちにとっても充実した一夜だったようで、よかったよかった。心から思う。

ター坊のこと、またフォローしなきゃな。

++
大貫妙子/ Vocal、小倉博和/guitar、沖山優司/ Bass、沼澤尚/ Drums、
フェビアン・レザ・パネ/ Piano、森俊之/ Keyboards
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by thatness | 2005-10-16 01:50 | 音楽_rock,others

山崎まさよし ONE KNIGHT STAND TOUR 2005

ぼくは山崎まさよしが大好きである。
4月3日。佐賀市文化会館のライブに行ってきた。

以下思ったことを徒然なるままに。

今回の「ONE KNIGHT STAND TOUR 2005」(以下OKST2005と略記)、名前を見てもわかるとおりスタンド・アローンのソロライブ。 山崎まさよしは、スタンド・アローンのソロツアーと、ベースに中村キタロー、 ドラムに江川ゲンタをむかえたトリオバンドによるバンドツアーとを、アルバムのコンセプトにあわせて組み分けている。 ワンマン・レコーディングのアルバムならソロツアー、ミュージシャンとセッションをしながら制作したときはバンドツアー、という具合に。 いままではふたつのツアーをほぼ交互にやってきていて、順番からいけばバンドツアーなのだけれど、 今年はデビュー10周年記念ということでいろいろあるらしく変則的になっている。

ソロライブだからといって、あなどってはいけない。
よくもまあ、たった一人でこんなに多彩な音を出せるなと、今さらながら感心する。

しっとりとしたギター一本の弾き語りもあるが、ノリのいい曲では、サンプリングマシンをフルに使う。 その場で、パンディロ(サンバとかで使われるタンバリンみたいなやつです)をぱらぱらっと叩いて、 或いはアコギでリフを刻み、サンプリングしてループのリズムパターンにする。 それに生アコギをのっけてグルーヴを生み出し、お馴染みのラブソングをやられると目がくらくらしてくる。 何度聞いてもカッコイイ。ソロライブは(ファンクラブイベントも含め)これで3度目だが、 まったく飽きがこない。 リズムパターンは、同じ曲でもライブによって微妙に違うのだ。 歌詞がはじまるまで何の曲かわからないことも多々あり、とてもワクワクする。
今回はとくに、デビュー10周年記念ライブということで、選曲はファンには垂涎ものの名曲ばかり。 同じソロとはいえ、前回の脱力系ライブ(OKST2003)とは雰囲気もノリも全然違う。 エキサイト、エキサイト。アーチスト本人が「すげ〜すげ〜」と興奮を抑えられない場面も。 個人的には全盛期のボ・ガンボスを思いださせるような熱いライブであった。

それにしても、思う。
ここまで曲のアレンジを変えてしまっても、おなじ曲として聞こえてしまうのだから、 ポップミュージックってほんとうに面白い。「OKST2000」のDVDで見たしっとりボサノバ系の「セロリ」と、 今回のバカ騒ぎ爆発サンバ(言い過ぎ?)の「セロリ」とを、 たとえばバッハやブラームスに聞かせたらどうだろう...極端なたとえですが。 おなじ曲として聞こえるだろうか?  歌詞とメロディ(とコード)さえあれば、あとは自由で変幻自在。 山崎まさよしはポップミュージックのマジックを知り抜いている。 山下達郎のように、自分のイメージどおりの音を再現することにこだわるアーチストももちろんいるが、 アイデアと自分のグルーヴさえあればこれだけの冒険が可能なのである。

もう一度、繰り返す。
ぼくは山崎まさよしが大好きである。

山崎まさよしはいつも「小さな風景」のそばにいる。
内田勘太郎や近藤房乃介など、日本の名だたるブルースマンと肩を並べるミュージシャンシップを持ちながら、 おれはブルース好きやけど極めなくていいんや、といういい意味でのこだわりのなさが彼にはある。 自分を徹底的に追いつめてどこまで音楽を追求出来るかという気負いが感じられないのだ。 天賦の才としかいいようがないグルーヴと声を持ち、 これだけ売れるアーチストになった今でも、独特の生活感というか、桜木町でマネキン運びに汗を流すさえないフリーターのお兄ちゃんが、 彼の中には棲んでいる。
いつかはどこかで根は張るんだろうと思いつつ、 一人暮らしをだらだらつづけているお兄ちゃん。そんなキャラが若い女性のハートを掴んでいるのかも知れない。 福山雅治が抱かれたい男ナンバー1ならば、山崎まさよしはトランクスを洗ってやりたい男ナンバー1?  ライブではかならず誰かが「結婚してえ〜」と雄叫び(もちろん女性)を上げるし...笑。

というわけでOKST2005、よかったよかった。

あえて苦言を呈すれば、PAの調子がやや悪くて残念だったこと 。
会場の佐賀文化会館は、客席数の割りにはどうもせまっ苦しく感じる。近場でいうと、わが町のアルカスSASEBO大ホールや長崎市公会堂、 福岡市民会館にくらべるとなぜか閉塞感があり、(悪口ついでにいうと...)ロビーも狭くて雰囲気がない。 セッティングが難しかったのかも知れないが、せめて音量をもう少し絞れなかったのか。

そもそもPAの音響って、スタジオの録音機材のような技術的進歩があるのだろうか。 PAを使わず、楽器と人間の声をダイレクトに楽しめるのはクラシックだけである。 最近はクラシックのコンサートに足を運ぶことが多いせいか、音の悪さにはどうしても敏感になる。 「ライブ」とはいいながら、生の山崎まさよしの声やアコギが聞けるわけではない。 今回のOKSTツアーのようにアコースティック・サウンド主体のライブもあるのだから、 原音に忠実かつ大音量で再生できるような技術の進歩があってもいいじゃないか。ポップ系のコンサートにも何十年も通っているが、 進歩というものをあまり感じない。いいアーチスト(会場)はいつ聴いてもいいし、悪いのはいつも悪い。

最後にもうひと言。
ぼくは山崎まさよしが大好きである。
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by thatness | 2005-04-06 15:28 | 音楽_rock,others