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<   2004年 07月 ( 3 )   > この月の画像一覧


『詩のこころを読む』再読

茨木のり子氏の『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)を再読した。
とっても、とってもいい本なのである。

この本でぼくは吉野弘氏の「I was born」を知ったし、なんとなく敬遠していた大岡信氏の作品がわかるようになった。 まずはすぐれた現代詩への手引き書なのだけれど、それ以上に、自分が何を書いていいのかわからないとき、 どうやって生きていいのか迷ったとき、この本の詩と茨木さんの解説にはずいぶん助けられたように思う。 全体は、以下の5つの章からなる。

生まれて
恋唄
生きるじたばた

別れ

誰もが経験する人生のそれぞれの場面で、詩人がどのようにインスピレーションを得て、書いてきたのか。 さらには、書かれた詩がどのように時代にフィードバックされ、読み継がれるようになったか。 ひとつの人生を追いかるようにして、戦後詩の代表作を読むことができるのがいい。 その楽しさは、おそらく詩を全然読んだことのない人にももたらされるのではないか。

面白いのは、5つの章のなかで、「生きるじたばた」の章が圧倒的に分量が多い事。構成上そうしたというより、 選ばれた作品が圧倒的にここに収まってしまったという感じ。恋唄にあふれているのは、 テレビドラマとポップミュージックの世界だけで、実人生は誰しもそうではないはず。 人生の峠を登りつめて、風景を俯瞰できるのは、長い上り坂との格闘があったからだ。

じたばたしているのは自分だけじゃない。詩を書く人も、書かない人も、 自分なりの生きがいと自由を獲得するために日々を生きている。しっかり生きて、想像力に誇りを持つことができれば、 言葉のほうから贈り物をくれるはずだ。 この本を読むたびに、そう確信する。

たとえば、この本に紹介されている詩のなかで一番好きな、濱口國雄氏の「便所掃除」。 鉄道会社の職員として、日々はたらいたなかから生まれた宝石のような言葉。

便所を美しくする娘は
美しい子供をうむ といった母を思い出します
僕は男です
美しい妻に会えるかも知れません

(濱口國雄 「便所掃除」)


こういう見事なフレーズが、てらいなく書けるようになりたいと思う。
そのためには、もっともっとじたばたしなければ。自分のためにだけではない。 家族や自分が愛した人のために。じたばたして、正直に生きて、心は磨かれていく。間違いない。 この本で出会った詩の数々が、そう語りかけてくるのだ。
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by thatness | 2004-07-30 15:16 | 書物

ディーゼルカーにて

仕事帰り。
ディーゼルカーに乗っていた。

あるターミナル駅で親子連れが乗ってきたようだ。というのは、どこからともなく、子供の声が聞こえてきたから。

だあむだあっむだあ。
びいむびむびんびあ。
............。
............。
かうんあかあいあか。
えいきいいえきいろ。
............。
............。
まままあついままい。
けけけけかかけけけ。

ママ、暑い、お腹空いた、なんて、言ってるんだろうか。 意味がわかりそうでわからない。 日本語の胎児だ。ものすごいポエジーを感じる。

頭の中に、一枚の広い紙を広げてみる。
子供の声は絵の具。

偶発的に声が発せられるたびに、ぼくは絵の具を紙にぶちまける。 面白いぞ、これは。 絵の具が紙に落ち、他の色と混じりあい、表情を作る。 その過程でひとつのりっぱな完成した絵であり、 次の瞬間、声(絵の具)が発せられると変化して別の絵になる。 まるで、動くサム・フランシスやサイ・トゥオンブリーのドローングを見ているよう。

さらにそれを一つの詩として聞き取るとどうなるか?

子供は何かを訴えようとしている。それが日本語であろうということはわかる。 子供にしてみれば、それは決して偶発的に発しているものでもない。 自分の感情や欲求に従って必然的に絞りだされる、 子供にとっては言葉である。

現代詩にもおなじような状況がある。詩の言葉はほんらい、誰のためでもない、 自分自身が読むものとして書かれる、 と複数の高名な詩人が言ったのを読んだことがある。 たしかに現代詩は難解、というより読むだけで頭痛がする。 ワカラナイ。 それでも、言葉の音感とリズム、ぼんやりと明滅する意味の束に魅せられてしまう、ということがよくある。 たとえば、瀧口修造氏や吉増剛造氏の作品。黙読しても朗読しても、さっぱりワカランけど実に面白い。

詩とは、意味であることも大事だけれど、まず音でありリズムなのだ。

子供の声。それは男の子か、女の子かすら判別できなかったけれど、 発声がすごい。 大声だったり、囁きだったり。型にはまらないし、アイデアに満ちている。 読んでいた活字から目を離して、じっと声に聴き入ってしまった。

それにしても、どうして子供の声なのか?

というより、子供の声だからあのポエジーがある、というものじゃないんじゃなく、大人たちが常用の日本語に縛られて、 自分の声の可能性を捨ててしまっているだけなのではないか。 現代音楽の例になるけれど、ジョン・ケージのスペシャリストで、 ルチアーノ・ベリオ夫人だったキャシー・バーベリアン、 あるいは最近ならメレディス・モンク。 詩を取り戻したいなら、まず声を取り戻そう。自由な声を。
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by thatness | 2004-07-25 14:50 | ある日

アジサイ君のこと

小学校の低学年のころの思い出話。

毎朝、自宅を7時過ぎに出た。紺色の制服と制帽にランドセル。 半ズボンのポケットには紐でくくりつけた二枚の定期券が突っ込まれている。 細い泥んこ道を、転ばないように気をつけながら下り、やがて公立の小学校の裏門に出る。 近所の友達はみんなここに通っている。けれど、わたしは素通り。某大学の「ふぞく」小学校にバスで通学していたのである。

なにゆえ、公立の小学校へ行かなかったか? 家族の事情もあったが、自分自身もどうしても行きたかったというのもある。 とにかく制服がかっこよかった。紺色のジャケットと半ズボン、それに制帽。 まるで、あこがれの寝台特急さくら号の運転士みたいではないか。これで、決めたのである。

実ははぼくは、右足がほんの少しだけ不自由である。 生まれてくるときに左の股関節がはずれてしまい(先天性股関節脱臼)、後遺症が残っている。 といっても左右の足の長さが数センチずれているだけで、日常生活にはまったく問題はない。 職場でも、足を引きずって歩いているのに気がつく人はほとんどいない。しかし、小学校では大変な目にあった。

歩くぶんにはクラスメートとほとんど変わらないが、走ると駄目である。足を引きずっているのがもろにわかる。 無理して走ると足はこびが内股になるらしく、「うちまた」というあだ名までつけられてしまった。 なよなよしていて、男らしくないというわけなのだ。

かけっこの時はつらかった。もう圧倒的に足が遅い。 歯を食いしばって足を動かしても、クラスメートの背中がみるみる小さくなっていく。 そんなぼくに容赦なく「うちまた!うちまた!」と野次がとぶ。からかうのはクラスメートだけではない。 3年生の時の担任の教師。事情を知らなかったのかも知れないけど「志久の走り方はおかしいぞ」と、 なよなよと内股走りを真似してみせて物笑いのタネにした。足のせいだけではなかったかも知れないが、 「ふぞく」ではほんとによくいじめられた。おどされたりケンカをふっかけられたり。 何の抵抗も出来ずに、毎日泣きべそをかいていたのを思い出す。

クラスメートの一人、ここでは彼の名を(学校のあった町の市花にちなんで)アジサイ君と呼ぶことにする。 アジサイ君は、背は低かったが、運動神経は抜群であった。 かけっこはいつも一番である。活発で、いつも運動の出来る男の子たちとつるんでいる。勉強もよく出来た。

彼もまた、わたしに野次をとばした一人であったかも知れない。あまり仲が良かったという記憶はない。 ついでにいうと、彼は国会議員の息子であった。当然、あこがれの東海道新幹線「ひかり」号に乗って東京にもよく行っていた。 九州を出たことのなかったぼくには、同級生ながら雲の上のひと。 その彼が、この時代のわたしに忘れられない思い出を授けてくれたのは、体育の時間である。

かけっこでいつもどんじりで、野次られてめそめそ泣いているわたしを憐れに思ったのだろう。 クラスメートに「一度、こいつに勝たせてやろうや」という提案をした。もちろん誰も同調しなかった。 手加減をして先生に睨まれるのが恐いというより、面倒臭かったのだろう。 それでもアジサイ君は何人かのクラスメートを引き込み、おなじ組で走ってくれた。

ようい。どん。スタート...。 半信半疑であった。本当に一番にしてくれるのだろうか。たしかに、アジサイ君はじめ、 クラスメートはぼくの後ろをゆっくりと走っている。一番である。けれど、気持ちはもやもやしていた。 いかに泣き虫小僧でも、情けをかけてもらう自分が惨めだった。 ふてくされているうち背中にバタバタという足音が近づいてくるのが感じる。このままま抜かれてもいいや。 早く抜けよ。ほとんど歩きかけたとき、真横にアジサイ君が並んで罵声をとばした。「走れ!走れ!」

本気で怒らた。「走らんか!」と...。びっくりしてピッチをあげる。無我夢中だった。 クラスメートたちの足音が、もう一度どんどん遠ざかっていく。目の前には誰もいない。 一番を走ることの解放感が込み上げてきた。ゴールに向かって先頭を走っている自分がうれしくて、気持ちよくて仕方がない。 油断していると、ふたたび足音が聞こえてきた。闘志が湧いてきて、なにがなんでも一番で走り抜けてやるという気持ちになった。 クラスメートが手加減してくれていることはすっかり忘れ、全力疾走。そのままゴールを駆け抜けた。

やった。やった。やった...。

アジサイ君がそばに来て、何も言わずにはあはあと息をしている。ぼくは彼にお礼のひと言をいえなかった。 「ありがとう」と言ったらそばにいる先生が彼を怒るかも知れない。 そんな思いもあっただろうが、ただでさえ内気だったぼくは、興奮して口がきけなくなっていた。 クラスのいじめられっ子が、人気者に初めて感じる親近感。とうてい言葉で表せるものではなかった。

体育が終わってから、アジサイ君は走り方を教えてくれた。 腕を振れとか、前をしっかり見ろとか、先生がいうことをそのまま言っただけでだったけれど、 一緒に運動場を一周してくれて、ほんとうにうれしかった。もちろんそれでかんたんに足が速くなるはずはなく、 その後の中学、高校と、短距離走ではどんじりの座を明け渡すことはなかったのだが。

はっきりいって、あの時の一番は、ぼくのかけっこ人生で最初で最後の一番であったろう。間違いない。 そういう意味で、いかに貴重な体験だったか、長い時間がたってこそわかる。アジサイ君はお情けで一番をくれたのではない。 全力疾走の開放感、自信を持つことの大切さ、達成感の気持ちよさを教えてくれたのである。

アジサイ君、ありがとう。

彼の名前は、いまでのはっきりと覚えているが、ぼくはその後「ふぞく」を転校してしまい消息はわからない。 Googleで名前を検索をかけたこともあるのだけど、ヒットしなかった。 紆余曲折あったものの、いまだに現役の国会議員である彼の父親だと、数千件のヒットがあるのに...。 アジサイ君は、ぼくにとって忘れることの出来ない、というより、忘れてはいけない大切な存在である。
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by thatness | 2004-07-05 14:29 | わたし