sort of day

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
検索
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧

<   2004年 09月 ( 3 )   > この月の画像一覧


水先案内夢

夢の記録をノートにとりはじめて、20年以上たつ。

絵が描けない、音楽が出来ない、それでもイマジネーションに飢えていた学生時代。 夢を記録して、ユング派の心理学者だった秋山さと子さんの本をたよりに、あれこれ解釈をこころみた。 マンダラや老賢人、アニマと出会って、衝撃的な自己実現が起こったらどんなに面白いだろう、と本気で考えていた。
まさに若気の至りのサンプル商品。それでも、未だに止められない自分がいるのはなぜだろう。 夢が人生を変えるなんて、全然思ってないのに。

ただ、夢の記録を長年続けてきて、面白い現象がないわけではない。
たとえば予知夢?のようなものをまれに見る。

++
『記録。2001年、8月27日』

ぼくの奇妙な仕事。竹製のウインドチャイム(風鈴)を、あちらこちらの家の軒先に吊るして回り、 音を管理すること...。しかし、夏も終わりに近づき、チャイムは不用になった。真夜中、 取り外すために家々を1軒1軒訪問している。

ある家でウインドチャイムをはずしていると、ご主人が出て来て、家に招き入れてくれた。 なにやら不安めいた気持ちで、暗い部屋を通って裏庭に出る。 外には1辺が百メートルはあろうかという正方形のプールが目の前にあった。 水深は恐ろしく深い。それは、何か大きな事故か天災で亡くなった人々のための、慰霊施設だった。

そこでは、大きな追悼式典の真っ最中。プールの回りにはたくさんの遺族が並んで花をたむけている。 久米宏など有名なニュースキャスターが何人もいて、祈りを捧げている。県知事?が追悼文を読み上げ、 バックで静かな音楽が流れている。
++

あまりにも鮮明な夢だったので、ほんとうに大きな事故か天災が起こるのではないかと思ったが、 事実、9月11日にあの同時多発テロが起こりびっくりした。 あの正方形のプールは、消滅した世界貿易センタービルの跡地そのものである。あの時はさすがにふるえが来た。

しかし。これが(ほんとうに)予知夢だったとしても、だから何だ、 という程度のものである。人間は無意識のうちに、たとえ睡眠中であっても厖大な情報を拾って処理している (...と思う)。予知夢のようなシンクロニシティ現象は、誰にでも起こりうる現象だと思っている。 そんなに珍しいことではないだろう。

自分の経験から思うに、夢解釈ではついつい、内容を過大評価したり、 自分の都合のいいように解釈してしまいがちである。これはよくない。
夢とはほとんどの場合、現実のストレスのはけ口に過ぎないと思う。遅刻しそうになのに足が動かなかったり、 車をうまく運転できなかったり、あるいは空を飛んでしまったり、すべて昼間の世界でのストレスの反映である。 片思いの相手と恋仲になったり、あるいはセックスしたり、これも単なる願望の充足に過ぎない。 けれど、いままで見たことのないタイプの夢を見たときは例外で、注視しておいたほうがいいと思う。 夢が「夢主」になにか重要な気づきを語りかけてくれる場合もあるかも知れない。

直感力にすぐれた人は、自分の目で見たものだけを信じればいいと思っているに違いない。 夢なんてどうでもいい。それは、強い生き方だと思う。 けれど、ぼくはユングの「私の一生は、無意識の自己実現の物語である」 という言葉がいまでも心に引っ掛かっている。

夢を記録するということは、自分の魂に耳を傾けるということだ。

記録し意識すること、 あれこれ考えをめぐらすことで無意識を刺激することが出来る。土に蒔かれた種子に、水をやるようなものである。 そこから最終的に浮かび上がってくるのは、自分がこの世に存在する、ほんとうの意味、 使命のようなものだと、ユングは言っている。

それがわかっている人は、それでいい。迷いの少ない人は、そういうことを意識することすらないだろう。 けれど、ぼくのように道草ばかりしてきた人間にとって、これは避けて通れない問題である。 一人ひとりの人間に(かならず)生きている目的、使命というものがほんとうにあるのなら、 ぼくもそれに「気づきたい」と思う。

使命はおそらく、思いがけないかたちでやって来る。 それは、自分がいま望んでいることとはかけ離れているかも知れない。 場合によっては、自分の幸福を犠牲にしなければならないようなものかも知れない。
けれど、それは決して自分の能力を超えるようなものではない。 むしろ、いままで愛せなかったものが愛せるようになる、と表現できるものではないかと思う。

なんだか、わくわくするではないか。
[PR]

by thatness | 2004-09-20 14:53 | わたし

『HERO』にスペクタクルの原点を見る

チャン・イーモウの『HERO』をDVDで見た。

中国、秦の始皇帝の命を狙う3人の刺客と、もう一人の武芸者の物語。 黒澤明の『羅生門』ではないが、回想形式で進む物語は二転三転して飽きさせない。 しかも、ハリウッドがしばしば製作する騎士道もののように、ロマンス主体の展開にはならず、 物語はあくまで説話的で節度を保っている。結末も、史実を壊さず流れにも逆らわない、いい終わり方だなあと思う。

そして、なにより感心したのは、映画の原点ともいうべきスペクタクル性を徹底的に追求していることであった。

映画を見る楽しみのひとつに、スクリーンに展開する人やモノ、天候などのリアリズムや運動性を生々しく感受するということがある。 「質感」の快楽である。そしてぼくにとって、「質感」こそが映画のスペクタクルである。 なにも派手なアクションシーンばかりがスペクタクルではないと思う。 女優さんの顔をクローズアップがあって、そこに生々しい肌の息使いが感じられたら、それもまた見事なスペクタクルである。 文学や音楽にはない、映画だけに表現できる領域といえるだろう。

たとえば、無名(ジェット・リー)が長空(ドニー・イエン)に挑む場面で出てきた、水に濡れた碁盤。 あの滴と、石の碁盤にはねる音の見事さ。見ている側まで濡れているような気分にならなかったか。 過剰な湿気と、水滴のリズムが、真剣勝負の緊張を盛り上げているのだけど、 水滴を落とすタイミング、音の大きさ、実に計算がゆきとどいている。一度見たら、忘れられなくなる。

あと、何度も出てくる立ち回りの場面での剣と剣がぶつかり合い、 こすれ合う時の音やしなり方、地面に突き刺さるときのドシッという音。 こういうのも素晴らしい。まさに鉄のリアルな質感がしなかったか。

『HERO』といえばワイヤーアクションをすぐに思い浮かべるだろうけれど、ほんとうにすごいのは 飛び上がって(紙芝居のようにうすっぺらな)平行移動する残剣(トニー・レオン)や飛雪(マギー・チャン)ではない。 始皇帝の前でゆらめく蝋燭の炎の運動性であり、整然とした動きで趙国に迫る秦軍であり、 始皇帝の立ち回りで落下する黄色い布のぶよぶよとしたシワなのである。

あらためていうまでもないけど、映画においては、雪をそのまま撮っても雪には見えない。 フィルム感度が低かった時代では、雪の代わりに紙吹雪を使ったし、降らせる密度とタイミングにリアリズムを追求した。 紙吹雪は消えたけれど、雪をそれらしく見せるために照明や光量に神経を使うのはいまも同じである。 映画の質はそこで決まるのではないかと、思う。

残念なことに、映画大国アメリカで、この(古い意味での)スペクタクルに神経を使った映画がほとんど見られない。

『スターウオーズ』『マトリックス』『スパイダーマン』...。たしかに、素晴らしいですよ。 クリエイティヴです。これど、これらはみな、質感の映画というよりは、まずキャラクターありきの映画である。 投下した莫大な資金を回収するために、とにもかくにも売れまくること、そのため、 いかに魅力的で万人にウケるキャラクターを作り上げるかに知恵をしぼる。 世界の映画市場を独占し続けるために、常にあたらしく、新鮮なキャラクターを生みだし続けなければならない。

その点、中国映画は、製作に「遊び」が出来るのである。たぶん。

しかも彼らには、ハリウッドというチャレンジすべき怪物がいる。 アメリカがやっていないこと、やれないことをやってやろうじゃないか、という気概と闘争心が『HERO』には横溢している。
ワイヤーアクションが『マトリックス』であるように、 趙国への攻撃場面はジョン・フォード(あるいは先輩格のチャン・イーモウ)への、 始皇帝の立ち回りは明らかにベルトルッチ(クリストファー・ドイル的にはストラーロ...)への挑戦である。 オリジナリティが金科玉条のハリウッドの感覚からすると、実にうさん臭いアイデア盗用とうつるだろう。 しかし、これだけのものを見せられると、いいんじゃない、面白いんだし、というぶっちゃげ感にとらわれてしまう。

当分、中国映画の勢いは止まらないだろう。 『HERO』は二千年以上も昔の物語である。だだっぴろい部屋に一人孤独に座る始皇帝を見つつ、 中国にはまだまだ無尽蔵のキャラクターと物語があるな、と感じ入った。 ネタ切れに苦しんでいるアメリカ映画のバックボーン、アングロサクソン文化とそのスケールを比べてみるといい。

中国映画がハリウッドを制して世界市場を征服することは、中国語が英語に勝てないように絶対ないだろうが、 われわれ日本人が、もうハリウッド映画なんていらないよ、こっちが面白いもん、という日は来るかもしれない。 『HERO』は、そんな(遠くない)未来を予感させてくれる映画でした。
[PR]

by thatness | 2004-09-13 15:19 | 映画

コーヒー雑感

金曜日。仕事帰り。
ひさしぶりに、百貨店の裏通りにある「K」へコーヒーを飲みに行った。 お酒は飲めないけど、ぼくはコーヒーが大好きである。自分好みの香りや味というものも一応ある。 「K」は、わがS市でおいしいコーヒーを飲ませてくれる、老舗のコーヒーショップということになっている。 どこの町にも、こういうお店はまありますよね。たしかにここは、おいしい。

実は街に買い物に出ても、滅多にコーヒーショップには入らない。 自宅から街までそんなに遠くないので、すこし無理をすれば、歩いて行き来ができる。 わざわざカネを払って休む必要がないというのもあるし、自由行動をするときはたいてい一人なので面倒臭いというのもある。 ぼくはコーヒーは好きだけど、うるさい人間じゃないのだろう。金曜日に「K」に足を運んだのも、 このところ家でたてている銘柄があまりにも不味く、我慢できなかったからである。

昔、大分県の別府市に、ものすごいコーヒーショップがあった。 席についてメニューを開くと、100種類以上の銘柄がずらりと書いてありる。 「ホットください」とか「ブレンドください」とか、とてもじゃないけど言えない。 メニューとにらめっこしていると、主人がやって来てコーヒーのレクチャーをはじめる。 話は豆の煎り方にはじまり、南米の気候から征服者たちの歴史にまで及ぶ。 言われるままに注文したコーヒーは、カルチャーショックといってもよかった。 正直、美味くはなかった。ただ「本物」にねじ伏せられたという感覚だけがある。 脳の中に異文化がどろりと流れ込んだ、と表現できるかも知れない。

主人の熱意には頭がさがったし、その後何度か足を運んだけれど、あの店はコーヒーショップというより、コーヒー博物館。 ぼくの場合、コーヒーはたかがコーヒーであってくれればそれでいい。 カフェインが触媒となり、ゆったりとした時間と「自分」を取り戻せればそれでいい。

もちろん、コーヒーも手間をかけた本物であればあるほどおいしいし開放感が得られるに決まっているけど。他の食べ物と同じで...。

ひょっとすると、これはぼくだけの感覚ではないかもしれないが、自分でいい加減にドリップしたやつじゃなく、 まっとうなコーヒーショップで出される本物を啜るとき、得体のしれない征服者になった気分がしないでもない。 別府のコーヒーショップで体験した、異文化が流れ込む感覚なのだろうか。 舌上を熱く流れる液体の味と香りがもたらすアクの強い快感。インディオや黒人を虐げ、金銀、 生命を簒奪する感覚とはこういうものだろうか、と思う。 懺悔の気持ちとともに、コンキスタドールの本能のようなものが込み上げてくる(ような気がする)。 日本人のぼくもまた、残虐な大航海時代歴史の延長線上に生きている(というのは言いすぎだろうか)。
[PR]

by thatness | 2004-09-03 14:53 | ある日