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M伯父さんのお葬式

先々週の土曜日のこと。
M山町の伯父さんがとつぜん、亡くなってしまった。81才だった。

実をいうと、伯父さんは昨年末から、父が入院していた市民病院のおなじ病棟、おなじ階で、 おなじように風邪をこじらせ入院していた。長いこと(これもまた父とおなじで)肺気腫が患っていて、 症状も父とくらべると重かった。 それでもお見舞いに寄ると、息苦しそうにはしていたけれど、 いつものように「仕事はどうや? 彼女はでけたか?」と笑顔で小言を連発していたので、 冬は無理でも温かくなれば退院出来るんじゃないかなと思っていた。しかしながら、突然の急変であった。

かわいそうなのは父。入院したもののベッドから動けなかったため、実兄と一度も顔をあわせることはなかった。 早朝、看護婦さんにたたき起こされ車椅子に乗り、対面したときには「もう冷たくなっていた」のだそうである。
これじゃまるで、交通事故ではないか。とつぜん娑婆と縁が切れてしまった伯父さんと、最期を看取れなかった父のことを思うと、 人間の死の不条理さに言葉を失ってしまう。

諸行無常。それはやり場のない怒りというより、大切なひとを奪われても何もできない無力感というに近かった。 もしも霊魂というものがあるのなら、仏様になりつつある伯父さんも自分の死は受け入れ難く、 無念で無念でしょうがないにちがいない。その気持ちは生きのこったものも同じだけど、如何ともしがたい。 合掌して冥福を祈るしかないのだ。

何がなんだかわからないうちに仮通夜、通夜、葬儀...なのである。時間は残酷にも、親族を伯父さんとの別れをけしかける。

市内の斎場。お棺のまわりには12人いる孫たち(そのうち9人が中学生から短大生までのの女の子、 男の子3人は小学3年生)がかわるがわる寄り添っている。祭壇に飾られた千羽鶴や写真を整理したり、寄せ書きを書いたり。 和やかな雰囲気だったが、僧侶の読経がはじまると女の子たちは声をあげてすすり泣きはじめた。 そうだよな。大切なおじいちゃんを突然西方浄土へ持っていかれちゃうんだものな。否が応でも、死を思い知らされる時間である。
読経が終わると、孫たちがお棺の前に集まり、夏川りみの「涙そうそう」を歌いはじめた。 歌でおくって欲しいというのが、伯父さんの遺言だったらしい。 カラオケにあわせて一所懸命唄おうとするけど、とても歌にならなかったのはいうまでもない。 斎場のスタッフも何人かもらい泣きしていた。

出棺。伯父さんに最期の別れを言うときが来る。
伯父さんはハーモニカとカラオケが大好きだった。親戚が集まると懐メロや軍歌を楽しそうに歌い、演奏し、 さらに酔いがまわると「コーちゃん、ワガ(お前)も歌え、歌え」とからんできた。 なだめる伯母さんといつのまにか夫婦げんかになるのがよくあるパターンで、それがまた幸せそうで周囲の笑いをさそう。 明るくて、おっちょこちょいのおじいちゃんだった。 それがいまでは、厳粛で深い瞑想に入った哲学者のような貌(かお)になっている。額に触れてみると、氷のように冷たい。 伯父さんにもう体温はないのだ。ほんとうに死んだのであって、もう笑うことも喋ることもないのだと思い知らさせる。 涙がこぼれて、止まらなかった。

火葬場。お骨を待つ間。

控え室が狭いのか、親族が多すぎるのか(40人くらいいた)、肩を寄せ合い、お寿司や和菓子を頬張りながら時が経つの待つ。 年寄りたちは世間話や故人への愚痴(笑)で盛り上がっている。 孫たちは孫たちで、彼氏の情報を交換しあったり小学生の男の子たちの遊び相手をしたり。 哀しいはずのお葬式が、最後には和やかで賑やかな雰囲気になるのも故人の人徳だろうか。

小一時間ほどたったころ。シアトルから駆けつけた孫娘が、突然立ち上がり「アメイジング・グレイス」を唄いはじめた。 ソウルフルな熱唱に、ざわついていた控え室が水を打ったように静かになった。 80を越えたお年寄りから10才のチビまで、じっと歌に耳をかたむけている。けなげで、心のこもった鎮魂の歌は、 心の奥にじわりじわりと滲みこんだ。
拍手喝采のあと、とんでもないことがはじまってしまった。アカペラでの親族対抗歌合戦?がはじまってしまったのである(笑)。
シアトルの子の次は、Nちゃんという公立高校の2年生。照れくさそうに立ち上がって唄いだしたのは「涙そうそう」である 。彼女はアイドル系のプロ歌手を目指していたことがあり、プロモCDも出した。 生で彼女の歌を聴くのははじめてだったが...すごかった。幼稚園の頃から伯母さんにみっちり民謡を仕込まれていたせいか、 声量がまずケタ違い。しかも、独特のコブシをきかせながら自由自在に音程をコントロールするので、 上手いだけじゃなく個性的な訴求力もある。さすが歌手を目指しただけのことはあるなあ。 いやはや、なかなかの迫力に言葉を失ってしまった。

Nちゃんが終わると、孫娘たちが「おばあちゃん! おばあちゃん!」と手拍子して大コール。 残念ながら伯母さんは自慢ののどを披露しなかったけれど(当たり前か、喪主なんだし)、 お年寄りの一人が「青い山脈」を唄いだすと、歌詞のわかるものはみんな歌声に加わり大合唱になった。
それから孫娘たちが一曲ずつなにか唄い、もう一度シアトルの子が「あたしは外人じゃないよ」と宣言して、 なんと「長崎ぶらぶら節」を唄いはじめた。歌詞を完璧に覚えていたので仰天。おばあちゃんに教わったんだろうか?  酔っぱらった勢いで誰かが「ブラボー」と叫んだ。
その後も誰かがいろいろと唄い、最後のしめくくりは全員で声をそろえての「上を向いて歩こう」である。 誰かが提案したわけではなく、自然にそうなった...。ぼくも下手くそな声で歌の輪に加わる。 だまっているわけにはいかない。おこれは伯父さんをおくる最後の歌であり、贈り物でもあったから。 親族みなで、声をはりあげ一所懸命に唄いあげた。(ひょっとして火葬場全体に聞こえたかも知れない)
唄いながら涙をこぼすものは、もうだれ一人いなかった。みなが口々に故人にふさわしいにぎやかなお葬式になったと、 満足した。哀しいはずのお葬式が、いったいどうしてこういうことになってしまったのだろうか。

ぼくらに伯父さんはもう見えない。精神も肉体も消滅したのかも知れないし、 西方浄土をめざし十万億仏国土の旅をはじめたのかも知れない。いずれにしろこの世には存在しないのだが、 伯父さんとの絆は切れることはなく、ぼくら親族と生きる歓びを分かちあっている。おっちょこちょいで、 伯母さんには子供のように甘えん坊だった伯父さんであったが、声なき声で、命の大切さを教え、はげましている。

ひとは死んで、いろいろなものを残す。お金や土地、子孫、名誉。
伯父さんにも野心はあったかも知れないが、その一生は一地方公務員、温厚な家庭人としてものであった。 残そうとたくらんで残したものなど、なにひとつない。しかし、好きな仕事と温かい家族に囲まれ、知らず知らずのうちに 「残ってしまったもの」がある。その素晴らしさ。世代をこえ受け継がれていく幸福というものがあることを、 ぼくは学んだのだった。
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by thatness | 2005-01-24 15:02 | ある日