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『そっと耳を澄ませば』三宮麻由子

昨年の冬、書店で偶然みつけた本である。
第一印象は、平凡なタイトルだな...ということ。 けれど、装幀の写真の上にあしらわれているリズミカルな円や線のデザインには見覚えがある。 一昨年、惜しくも亡くなられた作曲家にしてサウンドスケープの提唱者、吉村弘さんの図形楽譜であった。

思わず本を手に取り、活字に目を走らせる。

著者の三宮麻由子さんはアーチストでも、音楽家でもなかった。 東京の外資系通信社に勤務し、 翻訳の仕事をされているらしい。 内容は、参加している句会やバードウオッチング、山歩き、アメリカ留学。 日々の生活の中で拾い集めた音や季節の気配、身辺雑記を書き連ねたいわゆる歳時記であるけれど、 外界にのばしたアンテナの感度がものすごく高い。
たとえば、雨。梅雨のどしゃぶりの日、彼女は傘の内側に掌を当ててみる。 すると掌に「妖精たちが宝石をばらまいたような」まるい雨粒の感触を感じるという。 雨が水の粒であるということは凡夫にも理解できるが、それを体感できるとはかんがえられないし、 その感触を楽しもうなどとという発想などまったく浮かばない。 しかもその感触は、彼女によれば梅雨時の雨にだけ可能で、 夏の夕立は雨足が激しすぎて雨粒がすぐにつぶれる、 秋や冬の雨粒は風にあおられて傘にまっすぐに落ちてこないのだという。 「空が魔法の箱になって、恐ろしい雨をえもいわれぬ滴(しずく)の精に瞬間させる瞬間」。 それが彼女にとっての梅雨なのである。

この独創的で、きらめくような季節感は何だろう。 天賦の才としか言いようがないとしても、その正体は何なのだろう。 書店で斜め読みしているとき、文章に「晴眼者」という言葉がしばしば出てくるのに気づき、 ようやく謎がとけてきた。

そう。三宮麻由子さんは視力障害者なのである。 読書は点字、書き物はパソコンの画面読み取りソフト、外出には白丈(はくじょう)がかかせない。 晴眼者(という言葉の存在を、この本で初めて知りました...恥ずかしながら) が無意味なノイズとして無視する街の喧騒に耳をかたむけ、 風向き、気温や湿度にも気を配りながら、外を歩かなければならない。仕事も同じ。 しかし、彼女が不幸にして放り込まれた世界は絶望の闇ではなかったようだ。 というより、 むしろ光が無いゆえに見えてくるこの世界の豊かさがある。夜空に散らばる星々にまったく新しい線を引き、 自由奔放に星座を描いてみるような、 世界を日々発見するよろこびにあふれている。

もちろんこの世の中、マイノリティの方々にとってはまだまだ不便な社会。 盲目であることは生活に不便はともなうが、 三宮さんによると晴眼者が想像するような機能の欠落した世界ではないのだという。 そのことを彼女は、盲人に意識の闇はあるが、光の闇はないといういい方で表現する。 そもそも俗に障害者というが、それは誤りで社会の側に障害がある、というのが正しいはず。 ハンググライダーで鳥のように空を飛べる人がいるように、音と触覚だけをたよりに世界を鮮やかに知覚する人がいる。 それと同じように、世界にはさまざまな見え方があり、 その世界を生きる人からの贈り物としてこの本は読まれるべきなのだろう。

どのページを開いても宝石のような言葉があふれてくるのだが、 とりわけはっとさせられたのが、次のエピソード。小学校の頃、理科の授業。 動物を学習するためにネズミやネコなどさまざまな剥製に触れたときに、彼女はこんな印象を持ったという。

「剥製はもちろんどれも硬くて動かない。どんなにフワフワな毛が復元されていても、 生きているときの表情が理解できなかったせいか、私にはそれが動物だという実感がほとんどなかった。 剥製とは何か、頭ではわかっていても、硬いぬいぐるみみたいなものと、 温かくてすぐに手から逃げていってしまうネコとかウサギとが、 どうしても結びつかなかった」(「モグラとの遭遇」)

われわれ晴眼者は、剥製を見ても(触れても)、こういう印象は持てないのではないか。 「これは何ですか」と訊かれてもまず間違いなく「ネズミ、ネコ」と答えるに違いない。 先んじて「剥製です」と言えることはないだろう。剥製が生命を奪われたモノという事実よりも、 元はネズミやネコであったという知識のほうが先んじてしまうに違いないのだ。 われわれにとって生命とは、 口でどんなに偉そうなことを言っても、 もはや生々しい体験ではなくなっている。頭でおぼえた観念になっている。

ここではっきりとわかった。
そっと「耳」を澄まして、彼女がとらえるのは、なによりまず生命の囁き、または自分が生きていることを自覚させてくれる「音」なのだ。

カナダの作曲家で『世界の調律』の著者、マリー・シェイファーは騒音を定義して「われわれが無視することをおぼえた音」といった。 なぜなら、耳は目のように閉じることができない。不要な音は無視することができるだけで、それが騒音と呼ばれるわけだ。 心地よい音が欲しいときは、音楽を聴いてそのなかに閉じこもればいい。 かくして、騒音まみれのわれわれ先進国都市生活者は、騒音を無視する代償として、 音をつうじて得られるはずの豊かな感受性、生命に共感する力を失ってしまったのである。 われわれの耳は開いているが、ほんとうは閉じている。

吉村弘さん、マリー・シェイファーらは、環境音楽の作曲、 サウンドスケープの設計という仕事をつうじて、 耳本来の力を取り戻そうと努力した音楽家だ。 しかし三宮さんの本を読んでいると、「世界の調律」がなにも作曲家にしか立ち入れない聖域ではないことをおしえられた。 われわれは、傘をとおして雨粒に触れたわけでもなく、動物の剥製に触れたわけでもない。 ただ書かれた言葉を読んだにすぎないという事実に、もっとおどろく必要がある。 言葉でなにかを拵えようとするものにとって、 ほんとうの希望がぎっしり詰まっている本。 それが『そっと耳を澄ませば』である。

5年に1冊出会えるかどうかの素晴らしい本。
超オススメなので、皆さま是非書店で手に取ってみてください。
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by thatness | 2005-03-22 15:27 | 書物

housequake

11時前。
カルロス・クライバー指揮の『こうもり』を観賞しようと、 ディスクをプレイヤーに装填。ブラウン管にドイチェ・グラモフオンのトレードマークが映し出されたその時、 部屋ががたがたと微動しはじめた。

1階にいた父と母は、突風が来たと思ったらしい。 わが家は(何度も書いてきたように築80年のボロ家なので)ちょっとしたことですぐに揺れる。 けれど2階にいると、揺れの質の違いがすぐにわかった。ごくごくまれにだけれど、このあたりでも地震は起こるのだ。 数年に一度、震度1か2程度のやつが。 たいていは雲仙普賢岳の火山性地震の余波で、ほとんど体感もできない微々たる揺れである。

しかし今回は違った。微動はほんの1〜2秒で、地震...と気づいた直後、 地鳴りとともに佐世保では経験したことのない揺れがどかーんときた。

29インチのテレビが、ドイチェ・グラモフオンのトレードマークを写したまま、左右にはげしくローリングする。 飛びつくようにしてテレビを抱え込み、脚を踏ん張るが、支えきれない。何だこれは。ここは東京じゃないんだぞ。 佐世保なのだ。というか、佐世保でこれだけ揺れているのだから、もっとひどいところがあるに違いない。どこだろうか?  脚を踏ん張りつつかんがえるが、それどころではなくなってきた。 はげしい横揺れが止まらない。それでも震度でいうと3程度だろうと判断できた。 本棚の書籍はそのままおさまっていて落ちる気配はないからだ。だからといって、 この家が揺れに耐えられるというわけでもない。柱が梁かに、めりめりとヒビが入る音がする。 これ以上揺れると、倒壊するぞ! 覚悟を決め、 テレビを抱え込んでいたその体勢で跪き、揺れよおさまってくれ...と「地面」に祈りまくる。 しつこいけど、ここは東京じゃないんだぞ。どうしてどうして、ここでこんな地震が起こるんだ。 1階の両親は大丈夫だろうか。けれど、恐怖で足は一歩も動かなかったのだった。

時間にすればたいしたことはなくて、ほんの十数秒というところだろう。揺れがおさまり、テレビのブラウン管を見ると、 カルロス・クライバーが喝采浴びつつピットに迎えられている映像が流れていた。 DVDはスキャニングエラーすら起こしていなかった。階下に駆け降りると、両親にも怪我はない。 物的被害もなし。それでもこんなにおおきな地震は生まれて初めてだと、顔を青くしていた。

わが家でいちばん平気だったのは愛犬である。
父の話によると、日なたでが〜が〜寝てた時にぐらりときたが、吠えもせず、 むくりと起き上がって騒々しい屋内を覗き込んでいたとか。福岡の弟夫婦につながらない電話を何度もかけたり、 親戚からかかってくる電話の応対をしたり、ばたばたしているうちにいつのまにやら日なたで爆睡。 こいつは、ネコに睨まれると尻尾を巻いてしまう弱虫犬なのである。 なのに、地面があれほど揺れても涼しい顔をしている。柴犬、恐るべし。

被害や地震の規模はマスコミで報道された通りである。 長崎県北部の震度は4ということで、ぼくが体感した地震の中ではもっとも大きいものだった 。怪我もなく、家の損傷もぼくが点検したかぎりではまったくなし。 部屋の中も、机の上のモノが少し(山崎まさよしのCDが一枚、谷郁雄さんの詩集が1冊、海洋堂の室戸半兵衛1体) 落ちた程度。よかった、よかった。
震度5〜6を観測した福岡市内の弟夫婦、親戚にも怪我はなかった。家の中はそれなりに荒れたらしいが、まあ、しょうがないだろう。

教訓。
地震におそわれたら、どうしようもない。お手上げだが、火の元だけは消さなければならない。 ストーブやファンヒーターは自動消火装置があるからまだいいが、キッチンの火の気はやけどを覚悟してでも消さなければならない。 母はえらかった。それと、通信手段だが、これは携帯はいうまでもなく、普通回線もまったくつながらなくなる。 とくに被害の大きい地域から外への通話はかなり困難で、逆の流れもなかなかスムーズにはいかないように感じた。 存外たよりになったのはインターネットである。携帯のメールは受信も送信も駄目だったが、パソコンのやり取りは可能だった。 回線が物理的にやられていなければ、情報伝達、収集の手段として電話よりいいかも、と思い知った。

ぼくは地震と納豆が大嫌いである。東京から田舎に帰ってきたとき、震災に遭うことはないだろうなとたかをくくっていたが、 こういう事態に遭遇してしまった。長崎の県北地区でこれだけ揺れたのはおそらく観測史上なかったはずで、 自分が生きている間に二度とないことを祈りたいが、恐怖を記憶としてとどめておきたいとは思う。
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by thatness | 2005-03-20 15:11 | ある日

グレン・グールドの「テイク1」

高橋悠治さんがピアノで演奏するバッハの『ゴールドベルグ変奏曲』。
昨年、福岡のタワーレコードで試聴し、(買わなかったけど)装飾音や独特のテンポの揺れなどに強く魅かれた。 やはりたいそう評判になっているようで、ディスクの売り上げもよく、コンサートは満員御礼とか。 地元のショップで注文したが、一週間待つのにまだ届かない。やはりアマゾンにすべきだったか。

入荷の連絡をじりじり待つあいだ、聴いていたのがお馴染みグレン・グールドのディスクなのであった。本日はその話。

グレン・グールドの『ゴールドベルグ変奏曲』の演奏は、よく知られている1955年録音のデビュー盤と、 最晩年の1981年録音盤(映像もリリースされたが、ディスクとほぼ同じテイク)の他に、実はもうひとつ存在する。 1959年のザルツブルグ音楽祭でのライブ音源である。これが実に実に、素晴らしい。すくなくともぼくには、 この演奏がいちばんしっくりくる。
音楽ファンならみんな知っているけど、グールドは1964年にコンサート・ドロップアウト宣言なるものをし、 聴衆を前にしての演奏活動を一切止めてしまった。 トップアーチストの常識外れの決断は世界中をおどろかせ、復帰を熱望する声は晩年まで絶えなかったが実現せず、 このライブ音源も、彼の死後ようやくリリースされたものである。

グールドがなぜ、コンサート活動を止め、レコーディングスタジオに閉じこもるようになったのか。 一発勝負のコンサートでは「テイク2がない」というのが彼の言い分である。 ミスタッチへの恐怖、数千人の聴衆を前にしての極度の緊張感に心身をさらして疲れ果てるよりも、 レコーディングスタジオで、アイデアの湧くかぎりのテイクを録り、テープを編集して最良の演奏を提供する。 アーチストにとっても、聴衆にとってもそれが最良の道だと彼は考えたのである。

しかし、このザルツブルグ音楽祭のライブ演奏を聴くと、彼のコンサート・ドロップアウトが、 やはり残念な決断だったかも知れないと思えてくる。コンサートにはたしかに「テイク2」はないが、唯一無比の「テイク1」がある。 というより、一度走りはじめたら最後まで突っ走るというのは、音楽の根本原理ではないのか。 ちょうど人の一生と同じように...。
グールドは自分のイデアの実現のために、テクノロジーの力を借りて、 音楽の根本原理にメスをいれようとしたのだろう。テクノロジーと演奏芸術を融合させ、 まったく新しい(ディスク、或いはビデオという名の)芸術ジャンルを立ち上げる。それが彼の描いた夢だったろう。

けれども、練りに練り上げた「テイク2」の成果を踏まえたうえで、 もう一度、唯一無比の「テイク1」のまな板にのせて料理してほしかった...というのがぼくの(あるいはおそらく、多くのグールドファンの) 見果てぬ夢でもあるのだ。
神経過敏なグールドにとって、コンサートのステージは針のむしろだったには違いないが、 1959年のライブ演奏を聴くと、彼には即興的なインスピレーション、 プレッシャーの中でポジティヴにテンションを高めていく才能にも恵まれていたことがわかる。

冒頭のアリアは、まったく素晴らしい。テンポは高速だが、ノーブル。深い癒しがあり、 1981年録音のアリアよりもずっといいと思う。その後の変奏曲も、天馬空を走るような超高速で音楽が流れるけれど、 驚くべきことにせかせかした感じが全然しない。これはいったい何なのだろう。 グールドは車の運転が好きで、愛車のリンカーンコンチネンタルでよくドライブしたそうだけど、 この演奏は、思春期の少年が風をきって走る自転車のようだ。 フランソワ・トリュフォーの短編映画『あこがれ』を思い出していただけるといい。グールドは音楽と一体化して、無心になっている。 このよどみない音楽の線が、果たしてスタジオで編集されたテイクで可能だろうか。疑問。

そもそも、グールドが考えていた「テイク2」の方法論は、彼が考えるほど斬新なものだったのか。 スタジオでいくつもテイクを録っていいところだけど繋ぎあわせるやり方は、特にオーケストラ曲のレコーディングでは当たり前である。 オペラのような長丁場の音楽ならいざ知らず、30分から50分程度の曲ならば、 一気に演奏した方がいいテイクが録音できるんじゃないのか?

グレン・グールド。生で聴きたかった、なんて無茶なことはいわない。
せめて、レコーディングのためのコンサートを開いてくれたらよかった。 テレビやラジオのための生演奏はけっこうやっていたのだし...。それらの音源は現在ほとんどCD化されているが、 ほとんどがモノラルで音質はよくないのである。
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by thatness | 2005-03-12 15:26 | 音楽_classic

グレン・グールドの「テイク1」

高橋悠治さんがピアノで演奏するバッハの『ゴールドベルグ変奏曲』。
昨年、福岡のタワーレコードで試聴し、(買わなかったけど)装飾音や独特のテンポの揺れなどに強く魅かれた。 やはりたいそう評判になっているようで、ディスクの売り上げもよく、コンサートは満員御礼とか。 地元のショップで注文したが、一週間待つのにまだ届かない。やはりアマゾンにすべきだったか。

入荷の連絡をじりじり待つあいだ、聴いていたのがお馴染みグレン・グールドのディスクなのであった。本日はその話。

グレン・グールドの『ゴールドベルグ変奏曲』の演奏は、よく知られている1955年録音のデビュー盤と、 最晩年の1981年録音盤(映像もリリースされたが、ディスクとほぼ同じテイク)の他に、実はもうひとつ存在する。 1959年のザルツブルグ音楽祭でのライブ音源である。これが実に実に、素晴らしい。すくなくともぼくには、 この演奏がいちばんしっくりくる。
音楽ファンならみんな知っているけど、グールドは1964年にコンサート・ドロップアウト宣言なるものをし、 聴衆を前にしての演奏活動を一切止めてしまった。 トップアーチストの常識外れの決断は世界中をおどろかせ、復帰を熱望する声は晩年まで絶えなかったが実現せず、 このライブ音源も、彼の死後ようやくリリースされたものである。

グールドがなぜ、コンサート活動を止め、レコーディングスタジオに閉じこもるようになったのか。 一発勝負のコンサートでは「テイク2がない」というのが彼の言い分である。 ミスタッチへの恐怖、数千人の聴衆を前にしての極度の緊張感に心身をさらして疲れ果てるよりも、 レコーディングスタジオで、アイデアの湧くかぎりのテイクを録り、テープを編集して最良の演奏を提供する。 アーチストにとっても、聴衆にとってもそれが最良の道だと彼は考えたのである。

しかし、このザルツブルグ音楽祭のライブ演奏を聴くと、彼のコンサート・ドロップアウトが、 やはり残念な決断だったかも知れないと思えてくる。コンサートにはたしかに「テイク2」はないが、唯一無比の「テイク1」がある。 というより、一度走りはじめたら最後まで突っ走るというのは、音楽の根本原理ではないのか。 ちょうど人の一生と同じように...。
グールドは自分のイデアの実現のために、テクノロジーの力を借りて、 音楽の根本原理にメスをいれようとしたのだろう。テクノロジーと演奏芸術を融合させ、 まったく新しい(ディスク、或いはビデオという名の)芸術ジャンルを立ち上げる。それが彼の描いた夢だったろう。

けれども、練りに練り上げた「テイク2」の成果を踏まえたうえで、 もう一度、唯一無比の「テイク1」のまな板にのせて料理してほしかった...というのがぼくの(あるいはおそらく、多くのグールドファンの) 見果てぬ夢でもあるのだ。
神経過敏なグールドにとって、コンサートのステージは針のむしろだったには違いないが、 1959年のライブ演奏を聴くと、彼には即興的なインスピレーション、 プレッシャーの中でポジティヴにテンションを高めていく才能にも恵まれていたことがわかる。

冒頭のアリアは、まったく素晴らしい。テンポは高速だが、ノーブル。深い癒しがあり、 1981年録音のアリアよりもずっといいと思う。その後の変奏曲も、天馬空を走るような超高速で音楽が流れるけれど、 驚くべきことにせかせかした感じが全然しない。これはいったい何なのだろう。 グールドは車の運転が好きで、愛車のリンカーンコンチネンタルでよくドライブしたそうだけど、 この演奏は、思春期の少年が風をきって走る自転車のようだ。 フランソワ・トリュフォーの短編映画『あこがれ』を思い出していただけるといい。グールドは音楽と一体化して、無心になっている。 このよどみない音楽の線が、果たしてスタジオで編集されたテイクで可能だろうか。疑問。

そもそも、グールドが考えていた「テイク2」の方法論は、彼が考えるほど斬新なものだったのか。 スタジオでいくつもテイクを録っていいところだけど繋ぎあわせるやり方は、特にオーケストラ曲のレコーディングでは当たり前である。 オペラのような長丁場の音楽ならいざ知らず、30分から50分程度の曲ならば、 一気に演奏した方がいいテイクが録音できるんじゃないのか?

グレン・グールド。生で聴きたかった、なんて無茶なことはいわない。
せめて、レコーディングのためのコンサートを開いてくれたらよかった。 テレビやラジオのための生演奏はけっこうやっていたのだし...。それらの音源は現在ほとんどCD化されているが、 ほとんどがモノラルで音質はよくないのである。
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by thatness | 2005-03-12 10:24 | 音楽_classic

くそぶくろ

先週の土曜日、伯父さんの四十九日法要。
シアトルの家族は欠席したが、納棺、荼毘と収骨に立ち会った親族ほぼすべてが集まる。

若くないせいか、昨今の仏教ブーム(だそうである)に知らず識らずにのっかってしまったのか、 お坊さんの読経を聴くのが好きになってしまって困っている。親族のどこそこに法要アリときけば、腰がむずむず...。 とくに故人の菩提寺(西本願寺派の真宗)のご住職の息子さん、実は高校の部活(弓道部でした)のひとつ下の後輩なのだけど、 彼の御勤めはすごい。広々とした斎場いっぱいに広がる朗々とした声。 それは耳から入るという感じではない。陽の光を浴びるように皮膚の細胞にふりそそぎ、 全身があたたまるような感じになる。お経の意味がわからないせいもあるだろうが、身体的な体験そのものという感じ。

で、土曜日の法要。彼と再会できるのを楽しみにしていたのだけれど、登場したのは父上のご住職。ここだけの話、 親族のあいだではご住職の評判はいまひとつよろしくない。もちろんそれは、 人間として宗教家としてどうだとかいうことではまったくなく、声が衰えて読経や法話が聞きとりにくい、 御勤めの時間がたつのが長く感じてしょうがない、というかなりバチあたりな理由による。 皮肉なことに、その悪口の急先鋒が亡くなった伯父さんであった。 「あのオヤジには送られたくない、息子のほうがよか」というのが口癖だったらしいけど、 そのご住職の御勤めを遺影のなかの伯父さんは満面の笑みを浮かべ聞いている。これにはこっちのほうが笑いたくなる。

けれど、ご住職の御勤めはみながいうほど悪くない。いい子ぶるわけじゃないが、ぼくはありがたく聞かせていただいた。

たしかに声は衰えていらっしゃる。斎場では迫力がないかも知れない。けれど八畳の日本間で聞くと閑寂として趣がある。 耳を澄ますと、鎌倉時代に一気にタイムスリップである。 そのはるか彼方には、北インドの大地で釈尊の最初の説法、初転法輪に集う弟子たちがいる。 たんなる空想といわれればそれまでだが、数千年の時空を生き抜いた文化が自分の目の前に広がるような気がして、うれしかった。 足はしびれたが。

ちなみに(誰も聞いてなかった)法話もよかった。 中学生や高校生の女の子たちを前に「お若いみなさんにはピンと来ないでしょうが」と前置きしながら、 「人間は業(自分自身)を生きるしかない。他人に手を差し伸べることは出来ても、一片たりともなりかわることは出来ない」と、 シンプルだが深い話をされる。嗄れはてた声には、渾身の力が込もっている。 けれど子供たちは、そんなの当たり前じゃないという顔をしている。
それはそうだが、考えてみるといい。自分はどうして自分なのか。 この難問を本気で思考し論破できた賢人は、人類数千年の歴史で何人いるだろう。 われわれは凡夫である。ただただ、ご住職のいうように「肚いっぱい、自分の人生を生きるしかない」。 自分の人生に答えを見つけるのではなく、人生に問われる問いに答えるべく具体的に生きていくしかない...。

とどこおりなく法要は終わり、ホテルでの会食。
このことは書こうかどうか迷ったが、やっぱり書く。

呑めないアルコールを飲まされ、膀胱が重くなってトイレに駆け込むと、ご住職と鉢合わせになった。 僧服をたくしあげて、用を足そうとされている。ぼくには和装の経験がまったくない。気になってしまった。 興味本位というより本能的に、ご住職の仕草をついつい盗み見てしまったのである。
見てはいけないものを、見てしまったと後悔する。僧侶の用足し姿...。 たくしあげた白袴の奥から、竹のように細い足首が見える。 がに股になり、腰を突きだしてじっと小便が排出されるがままの格好はなんとも滑稽で情けない。 皺だらけのお顔もアルコールのせいで紅潮し、目もどろんとしていて生気がない。 御勤めのときと、腰を突きだしているいまの格好とのあまりに大きなギャップ。

禅家は人間のことをしばしば「くそぶくろ」とよぶそうだが、 排泄をしているときの人間はあまりにも無防備で情けないのだな、としみじみ。他力も自力もへったくれもなく、 犬や猫と変わらないのである。自分という業を背負いつつ、霊長類ヒト科という動物として生きねばならない「業」もある。 けれど、これがありのままの人間の姿なのだろう。

もう一度、ちらりとご住職をみる。 すると、ご住職の視線に気づいた。用足しの姿勢のまま、糸のように細い目がじっとぼくを睨んでいる。 無礼を見透かされたような気がして緊張。すると思いもかけず、「でへへ...」と、悪戯っぽい笑顔がかえってきた....。 何でしょうね(笑)。呆気にとられて返事に窮し、会釈ひとつ返せない。ご住職はそのまま悠々とその場を退出していかれる。
凡夫の心にのこったのは、少しばかりの罪悪感と後悔、ユーモアと感謝が混じりあった奇妙な気持ちである。 「わしもあんたも、くそぶくろよ。御仏のお慈悲にすがって生きようではないか」 住職は禅家ではないので「くそぶくろ」などとはいわないだろう。 以心伝心というと嘘っぽいし、たんにぼくの内心の声が聞こえただけかも知れないが、 ご住職の「でへへ...」によって、ぼくの頭を慈悲としかよびようのないものが頭をかすめたのである。

凡夫は思う。

釈尊のえらいところは、その生涯で予言や奇跡の類いをまったくしなかったことだ。 神通力のようなものはあったのかも知れないが、ほとんど使うことはなかったようだ。 自分の運命を予言することもなく、不安におののいて神にすがることもなかった。 ひとりの人間として歩き疲れ、空腹に悩み、風邪もひいたろう。 いわゆる入滅のときも、腸炎を起こしたのか堪えがたい腹痛にもがき苦しみ、そのまま衰弱して、 弟子たちに見守られながら静かに死んでいった。釈尊は解脱を果たしたブッダ(目覚めたもの)であったが、人間であった。 もちろん復活もしなかったし、昇天もしなかった。亡き骸と言葉だけが残ったのである。

釈迦もまた、バチ当たりないい方だけど、くそぶくろとして生まれ、衰えて死を迎えた。 それは人間として生まれたものすべてに仏心があることを示し、釈尊自身もそのことを説きつづけた。
仏心を太陽にたとえるなら、慈悲はふりそそぐ陽光といえるかも知れない。 凡夫であるぼくが仏心に触れることなどとうてい無理だろうが、慈悲をいただくことは出来る。 まさに陽光を浴びるように...。そして、仏心たる太陽は(宗派によって考え方は異なるが)人間自身の中にも宿ると考えていい。 陽光は自分自身から自分へと降りそそぐということもありえるだろう。

慈悲とは、リアリズムであるべきなのだ。 生きてここにいること。生き物として、自分自身として業を持ち、存在していること。 ものを考えたり、好きな人に一喜一憂する、それだけで、空飛ぶ円盤を見たとか透視能力があるとか、 あまたある超自然現象の類いよりはるかに(あくまで比喩的な言い方だけど)神秘といえるのではないか。

20代のぼくは、あるべき自分の姿(自己実現)に追いたてられ、常に俯いて生きてきた。 20代らしく生きていない、というコンプレックスとの闘いの日々であった。 30代もまったく同じ。40才を過ぎて、ようやく変化が訪れたのかも知れない...。野心はいまでもあるが、 同時に静かな覚悟のようなものも出来ている。他人がなんといおうと、いわゆる「...代らしく」生きるのはやめるのだ。 というかもう無理...笑。

これからも、辛抱強く社会人(労働者)として生きねばならぬ毎日がつづくに違いない。 それでも、用足しの不格好な自分の姿を、「でへへ...」と笑い飛ばせる寛容性があれば、 楽に安心して生きていけるのではないかと思う。

伯父さんが亡くなって四十九日。
日々の仕事、家族の世話、犬の散歩...。冬の寒さやふとんの温かさ。振り返ってみると、 ばたばたしていて、まるでトムとジェリーを地でいくような毎日である。伯父さんの遺徳を偲ぶ瞬間がどのくらいあっただろう。 情けなくなるが、仏様となられた伯父さんの慈悲にすがって許してもらおっと。 ぼくは、この娑婆でもっと、じたばたして生きていたいのです。 他人を支えたり、支えられたり、他の生き物とおなじ大気を呼吸するよろこびを満喫したり。
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by thatness | 2005-03-05 15:10 | ある日