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花開時蝶来

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花開時蝶来
蝶来時花開

花開くとき、蝶来たり
蝶来たるとき、花ひらく


良寛
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# by thatness | 2006-05-15 19:44 | 名称未設定断片

続・on Sunday

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# by thatness | 2006-05-13 10:39 | 写真

on Sunday

遊んでくれよ。
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........?
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# by thatness | 2006-05-10 23:14 | 写真

trust your soul !!

Citron Syrup」のyukkoさんからMAYA・MAXXのポスターをいただいた。

MAYA・MAXXは最近個展を開催していないし、ショッピングサイトも閉鎖しているので、ポスターや関連グッズを入手するのはとてもむずかしい。お引っ越しで荷物を整理されている過程で、どうせならと贈ってくださったのだけど、大好きな画家のポスターなので梱包を解いた瞬間、しびれた。深紅の木製フレームも色鮮やかな絵にピッタリだし、yukkoさん、この場を借りてあらためてお礼申し上げます。

さっそく部屋の壁にぶらさげて毎日眺めているのだが、ついつい自分の絵と比べてしまい、力の差を見せつけられた...笑。
ポスター自体がまず、ふだんぼくがドローイングブックに描いている絵のほぼ倍のサイズがあり、それだけでパワーが違う。おまけにあの画面である。実物はさらに(下塗りに使用されている洋雑誌から見るに)ポスターのほぼ3倍の大きさはあるはずだ。いったいどれほどの迫力があるのだろう。もっとも、この部屋で鑑賞するにはポスターがベストなのはいうまでもないが。

ともあれ、自分の身体のサイズよりも大きな絵を描くって、どういう体験だろうか。いつかチャレンジする機会があればなと、思う。

いただいたポスターを見てあらためて感じたのは、MAYA・MAXXの絵は色彩、線とも饒舌だが、伝わってくる「波動」はとてもシンプルであるということだ。これはけっこうむずかしい。サイ・トゥオンブリの画面のように、試行錯誤をくりかえして、そのプロセスを絵にしてしまうというものではない。モーツアルトの音符のように、線も色彩(彼女はあまり色を混ぜない)も強い確信をもってどんどん描き込まれていて、描き加えたりイメージの進路変更の後のようなものが、ない。それは、イメージの引き出しが多く試行錯誤が少ないというより、自分の「魂」への絶対的な信頼感が描かせているように感じる...。
MAYA・MAXXの絵のいちばんの魅力はそこなのだ、たぶん。絵を描くことが自分の魂の花を咲かせ、人生をそのまま切り開くことにもなった、画家の「幸福」な時間と記憶がそこにはあふれている。

4月末から、新しい赴任地での仕事がはじまった。

この仕事にたずさわるようになり4年になるが、年々職場環境がきびしく感じるのは気のせいだろうか、それとも年のせいだろうか。...両方だろうな。

それでもぼくは幸福である。
一緒に暮らす両親がいて、これ以上の「無垢」はないだろうという目をした雑種の愛犬がいて、絵が描ける時間とスペースと、好きな音楽がある。MAYA・MAXXのポスターも壁にはかかっている。

「魂」への信頼、ということを自分なりに考える。
魂は、狭義の霊魂である必要はない。古代ギリシャのプシュケーの語源は「横隔膜」だそうである。つまり、呼吸と、感情や知恵の座は同じだったということだ。自分の心身への信頼がなければ、絵も描けなければ仕事も出来ない。それが枯渇しないかぎり、ぼくは幸福を確保している。
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# by thatness | 2006-05-10 22:59 | ある日

小日記

いわゆる黄金週間は、カレンダー通りに休みが取れた。

カネもないし、自宅でクラシックを聴いたり、未見のオペラのDVDを見たりして充電するつもりだったのだけど、 ニューヨーク、ブルックリンの詩人、スティーヴ・ダラチンスキーさんの2回のイベントで、 ぎりぎりまでエネルギーを搾り取られてしまったような気がする...笑。 いやはや、ダラチンスキーさんはほんとにすごかった。朗読が終ってへとへとになるのは、こっちのほうである。

もう何年も聴いてないけれど、ぼくの手元に、ドアーズのジム・モリソンが遺した『アメリカン・プレイヤー』というレコードがある。 40分あまりの詩の朗読に、遺されたメンバーが音楽をつけたものだが、20代のぼくにはその価値が全然わからなかった。だが、いまならわかる。

ダラチンスキーさんのイベントは、ぼくにとって、21才のとき、ゴダールの『気狂いピエロ』を見たとき以来の衝撃だった。 こんな芸術が世の中にあるのか、という「発見」をしたということ。これから仕事に、 ドローイングにと忙しくなるけれど、彼のイベントについては、自分で文章を書いておとしまえをつけなきゃなと思っている。 日本の片隅でちまちまと活動してきたぼくのようなものにも、気さくに話しかけれくれて、丁寧にドローイングを見てくれたダラチンスキーさんに、 自分なりの感謝の気持ちをかたちにしたい..。

黄金週間は、ずっと佐世保にいたけれど、たくさんの方々との出会いがあり、じつに実り多いものだった。 いままで壁にしか見えなかったところが扉になって、突然音を立てて開いた...そんな感じ。詩を書いてきたこと、ウエブサイトを始めたこと、 そしてドローイングを描きはじめたこと、どれかひとつが欠けてもこの扉は開かなかった。継続は力なり。しみじみとこの言葉を噛みしめている。

最後にもうひとつ。うれしかったこと。
元ちとせの福岡のコンサートのチケットが取れた! ばんざい。
6月3日。ぼくはまたへとへとになるのだろうか。
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# by thatness | 2006-05-07 22:53 | ある日

(天使ではなく)あなた

肉体でも魂でもなく
(翼もなく)呼ばれる名前のあなた
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# by thatness | 2006-05-04 16:12 | 名称未設定断片

福岡、北天神

入口か出口か。
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世界が見えたふりをする。
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もはや歩くしかない。
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偽の背中もないよりはまし。
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# by thatness | 2006-05-04 16:11 | 写真

on Saturday

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# by thatness | 2006-04-29 12:01 | 写真

盲亀浮木

火曜日。
目が覚めても起きられない。強い不安感と鬱。からだを折り曲げて、足先が小刻みにふるえている。 まあ、貧乏揺すりなんだけど、無理に起きない方がいいと思い、手足をのばして全身の力を抜き(不安感に襲われているときは、 これが意外と難しい)ぼんやりとそのままベッドで過ごす。...午前中はもう捨てた。眠ったり覚醒したりを繰りかえし、11時過ぎに起き出すことが出来た。 空き地に出て、跳ね回る愛犬を見ながら、ぼんやりとコーヒーを啜る。きょうは何をしても、自分を追い詰めることになりそうだ。 部屋の整理をしたり、あさってからはじまる仕事の準備をしたりしよう。適度にからだを動かす。それしかない。

いきなり話が飛ぶのだが、仏教の古い経典(雑阿含経)に「盲亀浮木」の譬えというのがあるらしい。釈尊は比丘(弟子)たちに問う。「この大海に一片の頸木(くびき、牛車の端につけて、牛に架ける部分)を投じたとする。 大海から、百年に一度だけ、盲目の亀が浮かんできて顔を出すという。その亀が頸木の孔に首を突っ込むということがあろうか?」...あるわけがない。 あれば天文学的偶然だ。釈尊はこの譬えから「人身を得て生きている」というのはこれほど希有なものと心得よ、と説いている。 ぼくはこの逸話がとても好きである。

いま読んでいる「正法眼蔵」にも、おなじような話が出てきた。
人間は死ぬとどうなるのか、肉体は滅んでも魂はそのまま生き残るのか。 心身は合一であるので、それは虫のいい妄執にすぎないと道元は一蹴しているのである。 釈尊も、来世の存在など考えるに値しないと、有名な毒矢の譬えで説いている。

もちろん、それが正しいのかどうかぼくにはわからない。来世はあるかも知れないし、ないよりはあったほうがいいと正直思うこともある。 ただ、釈尊が説いているように、いま人身を得て生きていることが希有なことであると思うべきだろう。 人として生まれることが、「盲亀浮木」とおなじくらい貴重なことだと説かれると、逆に気が楽になるから不思議だ。
では、この「盲亀浮木」の人生をどのように生きればいいのだろうか...。あまり遠くを見て大急ぎで走っても、すぐに息切れしてしまう気がする。仕事や義務に追い立てられ、押しつぶされるのもいやだ。ありふれた結論だけれど、自分の能力と時間をはかりにかけて、日々集中して有意義に生きるしかないのだと感じている。

気力があるときは、あれもこれもと何でもできる。
大切なのは、そこをスケールにしてはいけないことか。

心身が自由にならないときは、後回しにできるものはみんな後回しにして、ぼんやりすると決めたらぼんやりすればいい。 ただ今日(火曜日)は天気がいいので、部屋の整理と仕事の準備、それくらいはできそうだ。 それだけはやってみる。ひとつかふたつ何か決めて集中する。 それは一ヶ月、一年でものを考えるときも同じで、あれこれ欲張らず、ひとつだけ達成できるものがあればいいと思う。目標は柔軟に、状況に応じてゴムのように伸び縮みするのがよい。

集中してなにかをすれば、かならず余暇が生まれる。
それが、この文章を書く時間と気力をあたえてくれた。まさにご褒美だ。
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# by thatness | 2006-04-26 17:42

みのもんた

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# by thatness | 2006-04-24 17:46 | 写真