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金曜日の朝。休日。
いつもように空き地で目を閉じ、足をふんばって深呼吸をしていると、西の方角からぼあぼあぼあ、となんとも妙な音が漂ってきた。 金管楽器のチューバがチューニングする音である。 ぼくの母校でもある丘の下の中学校で、ブラスバンドが稽古をはじめたらしい。 やや瞑想状態にあったので、すっと耳にはいった瞬間は何が何だかわからずうろたえた。 チベット仏教の典礼には欠かせない管楽器(人骨で作られるものもあります)の低音にそっくりだったが、そんなはずはない。 あれこれかんがえるうちに足元がぐらぐらしてきた。 ひんやりとした冬の大気を染めたチューバのロングトーン。 それは雲のように青空を漂うというより、地面から突き上げてくる鈍い振動のようであった。 まさに(ちょっとはやいけど)啓蟄の音である。 もし土の中に高感度の集音マイクを埋め込み、地虫たちの深い呼吸音を拾えるならたぶんこんな感じではなかろうか、と空想する。 この空き地で身を縮めているミミズやゴミムシ、数百数千の名もなき地虫たちが、 あたたかくなってきた土の温度を敏感に感じとり、活動するタイミングを計っている。 あるいはすでに覚醒していて、ゆっくりと呼吸のトレーニングをはじめている。ぼあぼあぼあ、と。 そういえばアートや現代音楽の世界にも、自然音や生活の中の雑多な音を拾い出して作品にするこころみが数多くある。 10年以上前、福岡市美術館で見た、 氏家啓雄さんのガイガーカウンターと自動ピアノを組みあわせたインスタレーションは強烈だった。 バンアレン帯を突き抜けて地上にたどり着いた(あるいは地球を貫いてきた)放射線をガイガーカウンターでキャッチし、 そのデータをあらかじめ決められた音程に変換する。 データは自動ピアノに送られ、放射線が会場を走り抜けるたびに鍵盤が鳴るのである。 その音はやわらかい雨だれというより、豪雨に近く、身近に宇宙を体感した瞬間であった。 氏家さんはまた、植物や鉱物が発する微弱電流を音に変換して聞かせるオブジェも制作している。なかなか面白そうである。 60坪足らずの空き地をぼんやり眺めていると、ここが微細なイマジネーションあふれる小宇宙に思えてくる。 愛犬が木切れを噛む音、ヒヨドリのびーびーという啼き声、救急車のサイレン。 でも、それだけじゃない。もっとあるはず。その好奇心がたどり着く先にアートがあるのかも知れない。 人間は、自分が見たこともないもの、聴いたことの無いものを、探したり作りだすのが大好きな生き物なのだ。 英語で発見することを"discover"という。つまり、"cover"が"dis"される、 覆い隠していたものがなくなってしまうことが「発見」という発想である。 たださらにいうと、知らないことを知ってしまうことよりも、知らないことに出くわして狼狽すること、 そこにより大きな喜びがあり神秘があり、アートを生み出すモチベーションがあるように思う。 空き地で聞いたチューバの響きのように...。発見が、ただの「発見」ではつまらない、というのはいい過ぎだろうか。
by thatness
| 2005-02-12 15:06
| ある日
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