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グレン・グールドの「テイク1」

高橋悠治さんがピアノで演奏するバッハの『ゴールドベルグ変奏曲』。
昨年、福岡のタワーレコードで試聴し、(買わなかったけど)装飾音や独特のテンポの揺れなどに強く魅かれた。 やはりたいそう評判になっているようで、ディスクの売り上げもよく、コンサートは満員御礼とか。 地元のショップで注文したが、一週間待つのにまだ届かない。やはりアマゾンにすべきだったか。

入荷の連絡をじりじり待つあいだ、聴いていたのがお馴染みグレン・グールドのディスクなのであった。本日はその話。

グレン・グールドの『ゴールドベルグ変奏曲』の演奏は、よく知られている1955年録音のデビュー盤と、 最晩年の1981年録音盤(映像もリリースされたが、ディスクとほぼ同じテイク)の他に、実はもうひとつ存在する。 1959年のザルツブルグ音楽祭でのライブ音源である。これが実に実に、素晴らしい。すくなくともぼくには、 この演奏がいちばんしっくりくる。
音楽ファンならみんな知っているけど、グールドは1964年にコンサート・ドロップアウト宣言なるものをし、 聴衆を前にしての演奏活動を一切止めてしまった。 トップアーチストの常識外れの決断は世界中をおどろかせ、復帰を熱望する声は晩年まで絶えなかったが実現せず、 このライブ音源も、彼の死後ようやくリリースされたものである。

グールドがなぜ、コンサート活動を止め、レコーディングスタジオに閉じこもるようになったのか。 一発勝負のコンサートでは「テイク2がない」というのが彼の言い分である。 ミスタッチへの恐怖、数千人の聴衆を前にしての極度の緊張感に心身をさらして疲れ果てるよりも、 レコーディングスタジオで、アイデアの湧くかぎりのテイクを録り、テープを編集して最良の演奏を提供する。 アーチストにとっても、聴衆にとってもそれが最良の道だと彼は考えたのである。

しかし、このザルツブルグ音楽祭のライブ演奏を聴くと、彼のコンサート・ドロップアウトが、 やはり残念な決断だったかも知れないと思えてくる。コンサートにはたしかに「テイク2」はないが、唯一無比の「テイク1」がある。 というより、一度走りはじめたら最後まで突っ走るというのは、音楽の根本原理ではないのか。 ちょうど人の一生と同じように...。
グールドは自分のイデアの実現のために、テクノロジーの力を借りて、 音楽の根本原理にメスをいれようとしたのだろう。テクノロジーと演奏芸術を融合させ、 まったく新しい(ディスク、或いはビデオという名の)芸術ジャンルを立ち上げる。それが彼の描いた夢だったろう。

けれども、練りに練り上げた「テイク2」の成果を踏まえたうえで、 もう一度、唯一無比の「テイク1」のまな板にのせて料理してほしかった...というのがぼくの(あるいはおそらく、多くのグールドファンの) 見果てぬ夢でもあるのだ。
神経過敏なグールドにとって、コンサートのステージは針のむしろだったには違いないが、 1959年のライブ演奏を聴くと、彼には即興的なインスピレーション、 プレッシャーの中でポジティヴにテンションを高めていく才能にも恵まれていたことがわかる。

冒頭のアリアは、まったく素晴らしい。テンポは高速だが、ノーブル。深い癒しがあり、 1981年録音のアリアよりもずっといいと思う。その後の変奏曲も、天馬空を走るような超高速で音楽が流れるけれど、 驚くべきことにせかせかした感じが全然しない。これはいったい何なのだろう。 グールドは車の運転が好きで、愛車のリンカーンコンチネンタルでよくドライブしたそうだけど、 この演奏は、思春期の少年が風をきって走る自転車のようだ。 フランソワ・トリュフォーの短編映画『あこがれ』を思い出していただけるといい。グールドは音楽と一体化して、無心になっている。 このよどみない音楽の線が、果たしてスタジオで編集されたテイクで可能だろうか。疑問。

そもそも、グールドが考えていた「テイク2」の方法論は、彼が考えるほど斬新なものだったのか。 スタジオでいくつもテイクを録っていいところだけど繋ぎあわせるやり方は、特にオーケストラ曲のレコーディングでは当たり前である。 オペラのような長丁場の音楽ならいざ知らず、30分から50分程度の曲ならば、 一気に演奏した方がいいテイクが録音できるんじゃないのか?

グレン・グールド。生で聴きたかった、なんて無茶なことはいわない。
せめて、レコーディングのためのコンサートを開いてくれたらよかった。 テレビやラジオのための生演奏はけっこうやっていたのだし...。それらの音源は現在ほとんどCD化されているが、 ほとんどがモノラルで音質はよくないのである。

by thatness | 2005-03-12 15:26 | 音楽_classic
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